社会の恒常性を守ろうとすることは、単なる趣味や好き嫌いの問題なのでしょうか?
昔に比べて道徳的でない人が増えたというわけではなくて、昔は社会の恒常性を守ろうとすること自体が利益を産み出すことだったから、ノブレス・オブリージュなんて嘯いていたんだとも言われています。
職場の上司の友人は、政治家を目指していたもののあまり儲からないということが分かって断念したなんて話を聞きました

使命感に駆られるという人もいるのでしょうが、儲かるところに人が集まって、そこで儲かるついでに尊敬も得たいなんていう人がたまたまいて、政治的な成果を上げて来たなんていうのが、プラクティカルなところなのかななんて思います。
今時のいわゆる高学歴エリート層の方たちは何を目指しているのでしょうか?
さすがに東電を目指す方はいないでしょうが、この期に及んでやせ細った国のすねをかじるごくつぶしの最たるものであるような官僚を選ぶのでしょうか?
ゴールドマンサックスのような企業も賃金は下がっています。
何を選んでも泥船に乗っているような気持ちになってしまうこと自体が、構造的な不況を表しているのだと思います。
この閉塞感は、経済的な問題だけでなく、社会の不安定さに起因しているというように考えられるかも知れません。
今朝、家を出るとき、マンションのエントランスで住人の小さな子供に笑顔で「おはようございます」なんて言われてしまうと、課題を未来に押し付けるようなマネはしたくないし、社会の恒常性を守る必要を感じないではいられません

原発の問題もこれだけ深刻になれば、単なる利益供与の問題というだけでなく、社会の恒常性の問題であるのは間違いありません。
だからこそデモに参加している方たちには、子供たちのためになんて言ってる方が多いのだと思います。
僕自身は結婚もしていなければ、子供もいませんが…

社会を単なる市場としてしか省みない自由主義を信奉しているような現代人は、ガキだけは殺したくないと言っていた「スカーフェイス」のトニー・モンタナよりも大きな禍根を残しているのかも知れません
