サンボマスター、U2、ニーナ・シモン、カーティス・メイフィールドなどを聴いて感じ入っているとふと思いますあせる



何の代償もない善意なんてものは果たして可能なんだろうか?



すべてのものを値踏みして、そのプライスで世界を可視化して秩序を与えようとする資本主義社会では、無償であることは罪でさえあるのかも知れませんガーン



無償の愛に準じていたように見えた家族でさえ、家庭の中でも奥深くまで入り込んだ資本の目が監視しているかのようで、その無償さ故に立ちゆかなくなってきてるように感じてしまいますあせる



落ち着いた人間関係が構築できないと、大人になればなるほど利害関係で結び付くことが多くなってしまうので、信頼関係を醸成していくのが難しくなってしまうのは当然だと思います。



水商売の世界には割と多いのですが、家庭環境に恵まれなかった人たちは、しっかりした人間関係を築くことが出来ずに、売掛金を飛ばれたり、騙し騙されという人間関係を繰り返してしまうことが多いようです。



だからこそ結婚とか同棲とか、結婚しなくても子供を持つとかいう厄介な事を、無償でも引き受ける意味があるのだと思いますキラキラ



甥っ子、姪っ子の面倒を見てると、その笑顔だけでも十分過ぎるぐらいのお返しなのかも知れませんが…ガーン



しかし、いわゆる他人との人間関係であれば、福田和也さんの「悪の交際術」や「悪の恋愛術」ではありませんが、こちらが相手に与えられるものと相手がこちらに与えられるものを天秤に掛けるのは当然のことですニコニコ



だから、オタク系の幼なじみモノとか、兄妹モノとかで設定が無償の関係だったりすると、御都合主義的に見えてしまうのは当然なのかも知れませんあせる



かくいう僕なども、可愛い女の子には近付いて行きますが、そうでなければ、友達になろうとも思いませんショック!



僕にとってソーシャル・ネットワークなどの嫌なところは、そういった本音のところが透けて見えてしまうところだったりしますガーン



可愛い女の子が集まる合コンを持ってこれるやつと友達になりたいのであり、儲かる話を持ってこれるやつと友達になりたいのであり、自慢出来るような有名人と友達になりたいのですガーン



社会から一度撤退したような引きこもりの人の多くが、人間関係に対して純粋だったりして、使えない自分を恥じて負のスパイラルにはまってしまい、社会復帰することが難しくなってしまうという辺りにも原因があると思います。



でも、使えるやつとだけと友達になりたいというのはさもしい話ですしょぼん



使える使えないではなくて、面白いと思える人物と友達にならないと、人生なんて退屈なものにしかならないんではないでしょうか?



善意の結果がオウム真理教になってしまうのでは、世界は悲し過ぎますしょぼん


僕がナイーブなんでしょうか?



きっと人々はみんな切磋琢磨するようになり、世の中からは怠け者が消えて、正当な価値に対して正当な対価が支払われるようになるのでしょう。



それと同時にぼうっとしたような人の良さも失われていくはずです。



ナチスが行ったような断種や、精神疾患を持つ者への迫害のように、異常とカテゴライズされる者を抹殺するような社会が招来してしまうものかも知れません。



厄介者1人抱えられないような社会が、豊かな社会なのかよという疑問は宙吊りのままです。




1603junさんのブログ-51ji23-U3WL.jpg