僕はジャック・ラカンについてはオリジナルを読んでいるわけではありませんガーン



しかし斎藤環さんを通してではありますが、ラカニアンであると思っています。




僕には引きこもりのような時期がありましたが、自分自身を考えてみても、一般的な欲望を欲することが出来なくなったときに人はコミュニケーションを断念せざるを得ないように思います。



他人と似たような欲望を持つことが出来ないということは結果として普通の経験を得ることが出来なくなり、そしてその経験の欠如が世間への引け目となってより外へ出て行くことを困難にして悪循環のループを始めるというイメージですあせる



自分はかけがえのない存在でありたいという自己愛が、世間とは違っていたいという差別化へのドライブになっていることは事実だと思います。



しかし、結果として世間の人達が楽しんでいるものが楽しめなくなるのは恐ろしいことです。



僕自身が他人の欲望を欲することが出来るようになったかどうかは分かりませんショック!



合コンやパーティーなどで1人の女の子に人気が集中したりすると、自分に自信がないからレースを降りてしまうだけなのかも知れませんが、さもしい気分になって他人に譲ってしまいますガーン



僕は今まで誰にでも人気があるような女の子に惹かれることが少ないのですが、ラカニアンでありながら自分だけのオリジナルな欲望があるということを思いたいのかも知れませんガーン



鬱病やリストカッターなど世間的には困ったタイプの女の子であっても僕だけは面倒を見れると思い込むような形で相手と共依存の関係に持ち込みたいというような感じです。



それを真実の愛などと思い込むだめんず好きな女の子と似たようなメンタリティなのかも知れませんが、精神医学的にいうところの転移と言ってもいいのかも知れません。



タレントの中でも空虚なポップ・アイコンにしか見えないきゃりーぱみゅぱみゅや益若つばささんを気に入ってしまうというのも、自分自身の現実感の無さを思い知らされますショック!



ロボジーでの演技も絶賛されている吉高由里子さん辺りを好きになれたら違って来るような気がしますが…ガーン



でもどんな女の子に惚れるかなんて、わかっちゃいるけど止められないという最たる物で、談志家元でもこんな業の深さを許してくれるのかなって感じですあせる




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