2012年の終わり頃に世界が滅亡するなんていう予言がマヤ文明にあるそうですが、そういう話を物見遊山に面白がるぐらいは偏屈ではないつもりです

しかしその予言が当たろうと外れようとどうでもいいというのが僕の思いです。
宮崎哲弥さんも言ってることですが、原始仏教の言うところの人は死んだら所詮タンパク質のゴミというような考え方に僕も惹かれるところがあります。
生きとし生ける物だけでなく、この世界に存在するあらゆる物質にも適用することができるような究極的に平等な考え方だと思います。
ですので人類が滅びるのだってたいしたことだとは思いませんが、地球が消失することになってしまったとしてもあまり気にはしないと思います。
国破れて、人っ子一人いなくなって、山河がなくなっても、無限遠から見たらたいした差はないと思ってしまいます。
だからと言ってそう考えることが何もしないということではありません。
僕はニヒリズムを経由したからこそ、言わずにはいられない言葉、動かずにはいられない行動を信じたいと思っています。
直感だけで動いてしまうことが思考停止である可能性が高いというのは歴史を顧みれば、いくらでも思い浮かべることができます。
オウム真理教の平田信容疑者が出頭したとかで、オウム真理教がかつては仏教を名乗っていたのを思い出します

信者たちのニヒリズムを通過していないようなナイーブな素直さは当時よく言われていたことです。
麻原容疑者が空中に浮いた浮かないとかでころっと信仰に繋がってしまうことなども素直さが現れていますね。
ブッダは偶像崇拝なんてこれっぽっちも言ってなかったわけですから、醜悪とも言えるような麻原容疑者のような人物を拝み奉るなんてことは、宗教として形骸化した思考停止も甚だしいところです

こういうことを書いてると、怪しいカルト系の人達がペタとかを点けてくるかも知れません

よく読めばアンチ・カルトであり、アンチ・教条主義だというのは分かってもらえるはずですが、彼らから言えば少しでも引っ掛かりそうな人を探すのが仕事でしょうからとやかくは言えませんね…
