父が亡くなって五七日(いつなのか)、三十五日でした。

今日もお坊さんにお経をあげていただきました。

 

今朝、母が

「チーンを鳴らしたら、お父さんが死なしたごたっけん、

鳴らしたくないとよ」

と言っていました。

父の生前にも

「チーンは鳴らさんけんね」

なんて話をしていたそうです。

(ちなみに浄土真宗では、おりんはお坊様が鳴らすもので

私たちが鳴らすものではないらしい)

 

父は「ポックリ逝ったらアンタがたまがる(驚く)やろけん、

ポックリは逝かんようにするから」

なんてことも言っていたそうです。

「たまがるのは一回じゃもね、大丈夫よ」

と返事していたそうですが、

実際、今度ばかりはもう最後になるかも、

と覚悟した3月中頃の入院から

ちょうど2カ月で亡くなったわけですが、

母は「2カ月、お父さんは私に覚悟する時間をくれた」

本人はしんどかったかもしれないけど、

きっと自分のことを思って2ヵ月の時間をくれたのだ、

やさしい人だった、

と亡くなってしばらくは何度もそんなことを言っていました。

 

仲の良い夫婦だったわけではありません。

ケンカはしょっちゅうでした。

ケンカするほど仲がいい、と言うけれど、

この夫婦は当てはまらないと

私たち姉妹は思っていました。

でも、夫婦として重ねた月日に

ちゃんと愛があったことを

それこそ入院してからの2カ月で

私たち姉妹は知ることができました。

入院してからの父はいつも母のことを心配していたし、

母も本当に献身的でした。

 

入院する少し前には

「(あの世には)お静さん(父の母)とおすがさん(父の祖母)が

待っとらすけん、寂しくなかよ」と母が言うと

「おれはアンタがよか」

「アタシを連れていかんでよ(笑)」

なんて会話もあったそうです。

 

結局、父のくれた2カ月は私たち姉妹にとっても

大事な2カ月だったわけで、

ありがとう、と今日も手を合わせてきたのでした。

 

四十九日の忌明けまでもう少しです。

 

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