夕べ、少年少女合唱団のスタッフ会議を行いました。
と言っても相変わらずの3人です。
団長K先生、指導者(指揮者)I先生と事務局兼ピアノ弾きの私。
で、団員が現在「0」という壊滅的な状態ですが、
卒業生2人による「アフターズ」により、
首の皮一枚で繋がっているとはまさにウチのこと・・・・(;^_^A
さて、コロナの3年間、
募集なんてとんでもない、みたいな感じが
この地にはありました。
で、さすがに募集を開始しましょう
という会議です。
この3年間、中学校はなんとか頑張って
校内合唱コンクールなど開催してこられましたが、
小学校はもう皆無!
「合唱?なんですか?それ?」
という状態です。
各小学校に音楽専科はいません。
そうなると、音楽を苦手とする先生にとっては
そもそも後回しだったのが、
もっと後回しになったしまったことは
想像に難くありません。
で、コロナ前の団員さん(4~5名)もその間に大きくなり、
残念ながら合唱とは離れてしまいました。
(ただ、中学校で合唱部に入った生徒さんもいてホッ)
そういうわけで、
「一(いち)」からのスタート、
それも、発足した平成6年の「一」とは
全く違うスタートと思って取り掛からないといけません。
「一(いち)」ではなく「一(マイナス)」と言ってもいいかも・・・
「これからのことを話し合いましょう」
と声がけしたものの、
これから、どうなるんだろう、
自分達も年取っていくばかりだし、
と、自信もありません。
水俣の子供たちに合唱の楽しさを伝えたい、
水俣の合唱の灯を絶やしてはいけない、
と思いつつも、自分のやる気にさえ自信がないのです。
そうして、しっかりした企画案などもなく集まりましたが、
3人寄ればナントヤラで、
ちゃんと建設的な話し合いができました。
ああ、そうか、
コロナで出来なかったのは
合唱や音楽だけではなかったんだ、
話し合うこと、思いを語り合うこともできなかったのだと
よくわかりました。
本当に大変な3年だったのですね。
さて、そんなわけで、
水俣少年少女合唱団、
動き出しました。
またご報告します!
2017年、県少年少女・児童合唱連盟合唱祭にて
この中の2人が現在の「アフターズ」