8月13日の昨日、

球磨村の千寿園に献花に行ってきました。

豪雨災害で14人の方が亡くなった特養ホームです。

前にも何度か書きましたが、

私の所属する音楽療法研究会が

長年お世話になったところです。

私は2度か3度行っただけなので、

本当は、私よりお参りしたいメンバーはいたと思うのですが

急に決まって、おまけにお盆だったこともあって、

会の代表と私を含めて3人でお参りしてきました。

 

やっと道路が復旧したものの、

許可が下りた車しか通れない状況で、

鹿児島県を通っての反対回りで行きましたが、

その道々に見える惨状のすさまじいこと・・・

電柱の、電線の高さにまで水が押し寄せたのですね。

 

施設にはもう職員さんもいらっしゃらず、

手前の小学校も人の気配はなく、

お花やジュースが積まれた献花台にお花を供え、

お参りして、

少し上がったところにある理事長先生のお宅(そこも施設になっていた)に

ダメ元で行ってみました。

インターホンを押してもお返事がなかったので、

持ってきたお菓子に一言添えて置いていこうとして、

もう一度インターホンを押してみると、

玄関が恐る恐る開いて、理事長先生が顔を出されました。

マスコミ攻勢に大変な思いをされていて、

簡単に玄関を開けられなかったのでした。

お話を聞いて、

あっと言う間の出来事だったということがよくわかりました。

職員の皆さんがどれだけ必死でどうにかしょうとされていたかも。

 

沢山の方が亡くなったにも関わらず、

存続を求める声が大きかったのは

村唯一の特養ホームだったからだけではなく、

理事長、施設長始め、職員さんが

とても気持ちのよい方ばかりだったからだと思うのです。

長年通ったメンバーは口々にそれを言っていました。

職員さんたち皆さんのおかげで

とても気持ちよく仕事をさせてもらっていたこと、

閉所するのが残念であること、

感謝とねぎらいをお伝えして失礼しました。

 

こういうことが起きると

どうしてこんなところに建てたんだ、

と非難される、

今回も同じようなことを言われていると思うとつらい、と

同じ経験をした方が新聞に書いてらっしゃいました。

千寿園さんは目の前に小学校もあって、

子供たちとの交流も盛んだったりする、

とてもいい環境にあったわけです。

危なくないところに移住計画を、

なんて話は前からあるようですが

日本の今、どこに絶対安全なところがあるのでしょうね。

報道番組で大物芸能人が

「俺の知り合いは山鹿の旧家なんだけどね、

そこは水害も地震もなかったんだよね、

昔からいる人は安全だってわかってるんだよ。

結局、土地が安いからそこに建てるわけでしょ。

みんなで危なくないところに移住することを

考えた方がいいんじゃないの?」

なんてことを言っていて、

なんだか、

ああ、お金持ちの発想だな、

とガッカリしました。

 

すみません。

こんなことまで書くつもりではなかったのです。

 

 

亡くなられた方たちに心からお冥福をお祈りいたします。

そして、生きている方たちが、

心強く、少しでも心穏やかに暮らせますように

心からお祈りします。