とっくに過ぎてしまいましたが、
父の日だったので、
父が書いた本をご紹介します。
もちろん自費出版です。
平成5年2月発行とあります。
退職記念に会社が作ってくださいました。
過去に作った簡単な随想集「ぼくの朝礼」からと、
お客様向け通信のコラム欄に書いたもの、
それに書き溜めていたものを合わせて
こんな立派な本ができたのでした。
水俣を描いて下さったのは当時会社の顧問だった故Ⅰさん。
題字は父です。
何冊作ったのかは覚えていませんが、
お世話になった方たちに配ってしまって
実家にあるのはこれだけです。
もうボロボロです。
当時一度読んだきりでしたが、
今年高校を卒業した甥っ子があまりに絶賛するので、
25年ぶりに借りてきて読んでみたのでした。
 
父が勤めていたのは生活協同組合の
当時では珍しい店舗での営業形態で、
もちろん「御用聞き」(今で言う宅配)もあり、
市民の台所的存在で、
職域生協から地域生協へと変わりました。
最盛期は車の販売もしていたと思います。
私のグランドピアノもここで買ってもらいました。
生協とは言え、ほぼデパート。
父が長く在籍した呉服売り場では
父の課長時代に坪当たりの売り上げ全国一になったこともあります。
 
読みながら
父はこの会社を本当に愛していたこと、
会社の発展のため、
お客様のためにといつも考え、働いていたということが
改めてわかったのでした。
当時の理事長が「従業員のバイブルとして」と序文に寄せて下さっていますが、
いや、ホント、接客業の方たちに読んでいただきたい内容です。
 
いつもお客様に声をかけ、笑わせていた父は
お客様に(特におばちゃんたち)とても人気がありました。
文章にもそんな父が随所に出てきます。
欲目かもしれませんが、
沢山の部下や女性社員さんたちにも支持されていたと思います。
バレンタインデーには抱えきれないほどのチョコレートを持って帰ってきていました。
良くも悪くも調子のいいところがありますが、
それは、お客様に喜んでもらいたい、
その一心で、もしかしたら、努力で培った能力なのかも、
ということを読んでいて思ったのでした。
その分、あまりいい家庭人ではなかったかもしれません。
でも、私には自慢の父でした。
若い頃は水俣の石坂浩二と言われていたし・・。
ええ、ファザコンです。
仕事より家庭、という人より
仕事を頑張っている人が好きなのはそのせいかもしれません。
 
「ユーモアとペーソス」というタイトルのページがあります。
今でも会話の端々にこの言葉が出てきます。
たぶん父はいつもそれを心のどこかに思って
生きているのだろうと思います。
そうは見えませんが、大変な苦労人です。
根っこにはコンプレックスや家族しか知らない暗い部分もあります。
だからこそ「ユーモアとペーソス」にこだわるのかもしれません。
 
退職後は関連会社の取締役として数年、
その後は水俣市の監査役を2期勤めました。
監査役なんて、週に一度出勤するかしないかでいいそうですが、
ほとんど毎日行っていたようです。
つまり70歳ぐらいまでは仕事に出ていたので、
それはとても有難いことでした。
家に入ってからも、じっとしていられない質らしく、
したことのない家事もやるし、
母がずっと一人でやってきた畑に
ぶどう棚を作ったりして、今ではキウイやレモンも収穫しています。
 
今年の12月に85歳になります。
昨年は白内障の手術をしました。
腰は痛そうですが、まだゴルフにも出かけます。
「おれはもうだめだ」と口癖のように言いますが、
自分がだめだと言えるうちはまだ大丈夫。
元気でいてくれて、本当にありがたい限りです。
 
不肖の娘です。
まだまだよろしくお願いしたいので、
(まだ甘えるか)
いつまでも元気でいてほしいと思った父の日なのでした。