ん、ん、ん、???



おばぁちゃんちに移住を決めてから展開が早い。



8月末の午前中にいきなり決意して

おばぁちゃんちにそのまま向かい

早ければ9月から住みたいと申し出た。



快くオッケーしてくれて

住む部屋も作業する部屋も与えてくれた。



帰りに6年ぶりにいとこ宅に寄って報告したら

みんな喜んでくれた。



家に帰って父親に

おばぁちゃんちに住むことになったから

wifiの設置をお願いしたら

すぐに手続きしてくれて

今日wifi工事に来てもらって設置完了。



今日までにまだ2回掃除に行っただけだけど

あとは2階の使う部屋のベッドとマットを処分して

荷物を運べばとりあえず住めるようにはなる。




掃除はおばぁちゃんちに行ってからでも

できるけど、

自分の部屋になる場所だけは

バルサン炊いたりして寝れる状態にしてから住みたい。



来週か再来週には私は移住ができる。



今でもなお目の前の家の人からの

うっとおしいことは続くけど

気持ちが楽ではあるし

どうやっても現実にどっぷりハマってしまう

出来事だけど、

大きな視点で見れば

源の私が起こしているのだ。




私がいる場所はもうここではないと。

エネルギーの視点で考えられたときそういうことだと思ったのだ。




波動が変わったから

覚悟をもって私が求める場所に行くときが来たんだと

ふと思った。




ただ単に波動がもう合わないんだ。違うんだって思えた。




そりゃぁ嫌がらせしてくる相手が

いなくなってくれればどんなに楽かって思うけど




波動が合わなくなれば

相手が離れていくか

自分が離れるかそうなると聞いたことがあるけど

私が離れるのだ。




そういう視点で見れば

ここは私の居場所じゃないと思う。



1年前ぐらいかな?

このブログを始めたころぐらいに

私から湧き出た

「目の前に大きな畑が広がる家に住みたい」

という願いがこんなカタチで叶おうとしている。




まさかのおばぁちゃんち。




母親からは今の家(実家)をくれると言われてたけど

全くしっくりきてなかったし全然嬉しくなかった。




なんなら嫌だった。



母親のエゴも感じてたし。

ここに居ればいいんだみたいな感じ。



なんか嫌だったんよね。

こんなところじゃないって思ってたし

未来を想像できなかった。



水回り全部リフォームして

コンビニもスーパーもすぐにあって

何不自由じゃないのに

私にとってすげぇ不自由なんだよね。



近所には家が立ち並ぶのに何で人々は

挨拶もせずましてや隣同士でなぞにギスギスしなきゃなんないんだって。




そんなの一戸建てに住んだって

マイホーム持ったって何にも幸せでもない。




私にとっては田舎で助け会いながら

人の思いやりを感じながら

そして人を思いやることが

当たり前にできる自分でありたいと

それこそが私にとっての究極の幸せだと

今思う。




人との繋がり。



それを感じたいのだと

私はそれがしたいのだと

そう思いました。