愛されたかったんだ。



しょーもないことしてくる人が

なぜなのか?

なんでこんなにしつこいのか?



深掘っていったらようやく見つけた

しょーもないことして

母親の気を引く幼い私。




近所のおばさんが私にしてくること。



・夜にいつもつけない窓たちの灯りを付けて

外に出て私の部屋の様子を伺ってくる


・外に置いてるビールかなんかを毎日取りにきて

わざわざ「パコン」(缶ビールの蓋を開ける音)

を鳴らしてもって入る

(私の様子を伺う)


・ブラインドを開けたり閉めたりする時間を

「私が勝ち」と言わんばかりに勝手に張り合ってくる


・ずーっと開いてなかった私の家側の窓を開けるようになった


・階段の窓を開けたり閉じたり(今は閉めたままになった)


・私がたまたま庭にいておばさんが

車で出かける時に見つかったら

エンジンかけたままその場を離れない


・私が出かける時とちょうど被った今日、

私が車の入れ替えをしている間ずーっと

エンジン付けたまま動かず

動いたと思ったら駐車場から少し出て止まるという謎の行動。


私が乗っていく車に戻ろうとすると発車。




こんな感じで私に対する“何か“

何なのか?



だけど私はその行動に最初はイライラ反応してたけど

ここへきてなぜ反応するのか?

私の中にまだ眠る何かがあると思った。






いつもそれらの行動に対して思うこと。

それは

「っしょーもない真顔だ。




いつもいつもこれらの現象にしょうもないと思ってた。

しょーもないと意味づけしていたのだ滝汗




そのときの感情は

怒りというよりウザい、しつこいという感じ。

何が目的?みたいな。




だけど私が反応してし返せば

相手の思う壺だということもわかってた。

それは自分のエゴの思う壺でもあるんだけど。





私は過去にしょーもないと言われて

イヤだったことがあるのか??

そんなことを考えた。




しょーもないと相手に思うことで

私は優越感を感じる。

だけど見たくない、いい加減にしろという

抵抗があることに気づいた。




私はしょーもないことに抵抗をしていた。

しょーもない自分を否定していた過去がある。。




そう思ったら

私が幼少期、母親に構ってほしくて

していたしょうもないことがあったような気がする。




そうでもしないと振り向いてもらえないから。




なかなか忙しくて

私の相手をするのに時間を

とってくれなかった母親の

足を引っ張っていた自分を思い出したのだ。




どうやっても振り向かせたかったし

相手にして欲しかったから

いっぱい“しょーもないこと“をしたと思う。




だけど、「やめて」と言われたり

イヤな顔をされたことがあったと思う。




私は振り向いて欲しかった

(愛して欲しかった)だけなのに

愛されてないと思ったのかもしれない。




そのときの母親の口癖は

「しょーもない」をよく使ってた気がするから

私もいつしか

「しょーもない」という言葉を

よく言ってたきがする。





そうすればしょーもない何かや誰かを

否定することで一時的な満足を感じてたのだ。

どこかでしょーもないやつは

愛されないと無意識に思っていたのだろう。




優越感を感じられる。




私の方が愛されてると一時的にでも

錯覚できる。




だけどしょーもない自分を否定したままだから

他人のしょーもないことを否定してしまう。

結局自分を否定したままなのだ。




しょーもなくていいし

しょーもなくたって

本当は愛されてるのだ。




愛されてない人なんて

本当はこの世に1人も存在しない。




愛されてないと思い込むゲームをしてただけなのだ。





しょーもないって相手に思う自分でいいし

しょーもないことする自分でいい。



しょーもない自分を受け入れることができれば

しょーもないことする人への見方も変わる。




全部意識だから

しょーもない私がokなら

しょーもない相手もok!




しょーもない自分を抵抗してたそれさえok!




しょーもない私で生きていい。