昔母親のことが嫌いだった。
だから母親と似てない自分のことを
無意識に否定してたし
母親を友達に紹介することさえ嫌だった。
母親への思いが肯定的なものに変わった今、
母親と似てないけど母親を当たり前に好きな人、
母親と似てるけど母親を当たり前に好きな人が
素敵だなと素直に思えるようになった。
以前母親のことを否定していた私は
私のことを否定していた。
「なんで産んだん?」って
言い争い(勝手に)の末言ったこともある。
母親が嫌いな場合
自分のことを肯定できないのは当たり前である。
今なら分かる。
私の全部を受け入れてあげたい。
それは母親さえも過去さえも嫌なことさえもぜんぶひっくるめて愛することだ。
そんなの無理と思うことさえ愛する。
大っ嫌いだと思うことさえ愛する=ゆるす
今父親の書斎を片付けてると
母親の結婚前の写真や新婚当時のものまで出てきた。
初めて見るものもあれば20年ぶりとかに見るものまである。
すごく愛おしく思えた。
なんか勝手に勘違いしてた母親像があったし
そうじゃなくて改めて他人(?)というか
一人の別の女性としてみたとき
全く自分とは違う尊い存在で
私の知らない過去も全部ひっくるめて
この人に出会えてよかったなぁと。。
私の母親という存在を
やっと受け入れることができたというか
私は間違いなくこの人を選んで生まれてきたわと思えた。
ふとそんなことを思った