外側の嫌な人にいちいち反応する自分が嫌だ大泣き



そう強く思った。




外側に登場する嫌な人は私のカケラである。

その反対に外側に登場する好きな人だって私のカケラなんだ。



だけど嫌な人ばかりに目が行くのは、反応するのは

私の中の"イヤな感情"へ向く意識が強いからだ。




そう思ったら、わざわざそれに

意識を向けて嫌だ嫌だと言ってたなと気づく。




まだまだ恐れに(エゴ)支配されてるな。



その恐れを嫌がってるな。




嫌だと思うことさえ

良いことにしてしまえば

どんなに楽だろうと思った。




嫌なことは実は良いこと。

嫌だと思うその心が実は良いこと。

良いことも嫌なことも良いこと。




例えば嫌な人のことを考えて

行動出来なくなるとき、

億劫になるとき、

嫌だなーにフォーカスしてしまう。




だけどそのとき嫌だなーじゃなくて

マジで最高!!って思えたらどうなんだ??



いつまで嫌な人見て

嫌だ嫌だと言ってんだよって話。




嫌な人見ても嫌な人に何されても

嫌な人が頭に浮かんでも

全部その"嫌""最高"に変換できたらどーなのよ??



人物はいったん置いといて気分がいいではないか??




こんな話何回も聞いたけど

今日から実験でやってみたいと思う。



いい気分が正解なら

嫌だなと思ったとき

嫌だ嫌だにフォーカスするのではなくて

嫌な気分にさせてくれてありがとう

と思えたらなんか気分がいいスター



全部エネルギーなんだから

エネルギーをどう変換するか。



これは一人一人やり方が違うんだと思う。