小さい頃からいつも人の顔色を伺ってきた。

それは親に教育されたのでもなく

自らそうだったのだ。





いろいろ観念を取り入れて

より一層それが強くなっていったと思う。




それは私の過去数2と運命数の11にも表れてると思った。

(数秘術)




近所の人に嫌がらせをされるとき

私の行動によって相手からの何かしらの

アクションがある。




だから私がどうでるかによって決まる相手の行動に内心

ビクビクしていることに気づいた。

それさえも無意識に感じてないふりしていたわ滝汗




別に相手に何かするわけでもない。

ただ庭に出て野菜の支柱を立てるだとか

鉢を動かすだとか、パラソル広げるだとか。



あるときは夜いつもいる部屋へはいかず

別の部屋の掃除をしていたり。

だからいつもの部屋は真っ暗。




そういうことをした日の翌日、

何かしらアクションがある。

ただ私がやりたいことをただやっているだけで

ムカつくのか、鼻につくのか?




だから穏便にそーっととか、

電気いつものように付けといたほうがいいかなとか

なぜかいつも“相手を気にしながら行動をしている“ではないかチーン

と気づいたのだ。




だからそういう現実が写し出されるびっくりマーク




「そうくるならこうしますよ」って。




謎に人の顔色を伺ってビクビクした感覚とその思考が

私の行動によってアクションを取る相手を写し出していたのだ。




全部わたしなのだ滝汗




「そうくるならこうしますよ」っていう相手の反応は

こうやったら相手に刺激を与えてしまうのではないか?

と無意識に相手の支配下に自分を居座らせていたのだ。



そのとき恐れのような感覚と

右肩の下あたりがピキーンと引っ張られるような感覚になる。




人の顔色伺って何かをいつも恐れてたな。

それってありのままの自分に

自分で抑圧していただけだ。

不自由な自分でいさせ続けてたのは自分だ。




人の顔色なんてどーでもいい自分の感覚になりたい。




相手は関係ない。

いつも自分次第だ。

自分次第で道は開ける。