ただ全部認めるだけ。



私はいつも無意識に否定してたわ。

それは逃げることだったり

自分を無視することだったり

嫌だと思うことをちゃんと見ずに

紛らわしたり

本当はやりたいことを

人に合わせたり。。



これって全部私自身の本音に対する抑圧だと

気づいたら抑圧する前にちゃんと本音を

掴めるようになったような。。



分からんけど、だから今までみたいに

わけのわからない苦しさみたいなものはないし

(それは抑圧だったんだけど)

ちゃんと気持ちを認めてるから

そのあとの行動が私と一致してる。



これはエゴの私じゃなくて真我の私だ。



だから心につっかえがない感じ。




その私でいれるようになれたから

外側のいろいろがどうでもよくって、

〇〇されたえーとかいう

人のせいにすることさえ

私だし相手だったと。。




あいつのせいだと思いたいことさえ

「あいつのせいと思っていい」

と認めたら

その私のせいにしているあいつだって

どーでもよくなったというか。。




なんというパラドックスニヤニヤ




相手は私なのだ。w




認めると楽になる。

楽になるのは自分と調和してるから。



だから抵抗がない。



私は悪くなくて相手が悪いんだと抵抗すると

"相手のせい=自分のせい"をどんどん増大させる。



相手のせいだムキーと思うその感情を

相手のせいだから相手のせいだっつってんだよ!!

って私から湧き上がる感情に

抵抗せず認めるだけで流れにのるのだ。



だから同時に自分のその感情に許可が下ろせる。




それが良い気分。

その良い気分になれば

いつしか自分も人のせいにしてたと気づく。




そしたら相手のことも自分のことも同時に許せてることになる。



もし過去に人のせいにしてはダメだと

生きてたとしたら

人のせいにする現在の今に許可が出せたら

過去さえ肯定できる。

否定(抵抗)がひっくり返るのだニヤニヤ



なんと簡単なんだと思ったよ。




これで現在がどーであれ

なんかスムーズなのよ。




スムーズじゃないと感じてた現実って

ただの抵抗だったわけだ。