いい人でいようとするクセ=人の下手(したて)に出るクセ

の自分を発見した昨日↓

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本音を掴み切らず相手にだけ

winな状況を自ら作っていること、

相手の非をないものとしてるのも

自分が相手より下手に出るのも

全部自分から行なっていることだったのだチーン



だから上からものを言われるし

私が損をするような状況に陥る。




最初から私がそこまで本音を探れていたら

話は違っただろう。




焦りと恐れで

私は相手を上に置き自ら下手に出て

いい人でいようとする。

私のエゴだニヤニヤ



中略



私が変わらなきゃいけない部分

自分より相手を優先するクセだ。

それは一見いい人に見えるかもしれないけど

都合よく使われてしまいかねない意識である。




自分の世界において

自分を後回しにすることは罪深い。




その意識が現実になってるだけだったニヤニヤ



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私は自分に対して失礼なことをしていたんだ笑い泣き


だからその自分の意識が

誰かが偉そうな態度で目の前に現れたり

私に対して失礼な態度をとる人を

目の前に現していたんだ。。





以前私にばっかり挨拶をしてこようとする

近所に引っ越してきた人がいた。




まるで媚を売られているような感じ。

気持ち悪さと嫌な感じ。

なぜその人に嫌だと思ったのかというと

うちの親に挨拶すればいいのに

私に擦り寄ってくる感じだ。




私と仲良くしとけば〜みたいな?

そういうのが嫌で私から積極的に挨拶して

付き合おうという気はなかった。





だけどそれが悪かったのか

フェンス越しにいるのにその人は

背中を向けるようになった。




それは私だけじゃなく親にもだ。




私だけならまだしもなぜ親までも?

親は自分から挨拶をする人だ。




自分が本当は挨拶をしたくないだけで

私の愛想が悪いせいにしている気がしてた。





だけどこのとき

私のせいだ

という気持ちが発動したんだ。

(自分を責めていた滝汗




親にまで挨拶をしないのはおじさんの問題なのに

私が態度が悪かったからだと自分のせいにしていた。




おじさんの視点から見ても

仮にそう思ったとしても

それはおじさんの問題であって

私のせいではない。





自分のせいだという恐れと同時に

いつも背を向けるおじさんに対する

失礼すぎムキーという怒りが出てきた。




自分のせいだと思うとき

何とかせねばという焦りが出る。

相手の下手(したて)に出ようとする意識だ。




本当は私のせいでもないし

恐れで何とかしようと思うのは

完全なるエゴに乗っ取られた思考だ。




そして同時にでてくる

失礼な態度に対する怒りは

本当のところ自分に対する怒りだ。




自分に非があるとし(自分を責め)

相手より下の立場に自ら成り下がる

自分自身に失礼を与え続けていたんだ。




私のせいだから仕方ないと

無意識に思っているのだ。




だけどそれって自分に対して

失礼な態度を取っているのは

全部自分だということに気づく笑い泣き




なぜおじさんの気持ち悪い私への挨拶を

私が気持ち悪いと思ってはいけないのか?




私の純粋な気持ちをいつの間にか否定して

おじさんの失礼な態度を私のせいだと

私の最初の『気持ち悪い』という

感覚を否定してまで

おじさんをいつの間にか

自分より上においてしまってるのか。




私が私の世界の創造者なのに何で他人を上においてるのか。





誰かの下に自ら成り下がるものが

自分の世界の主導権は握れない。





自分が自分の世界の主導権を握る。


誰かを上に置くというマトリックスから卒業だニヤニヤ




自分に失礼なことをするのを終わりにしよう。