2011年のお正月 | ガノタなモノづくりママの日常

2011年のお正月

あけまして おめでとうございます。

本年も、相変わらぬご愛顧をよろしくお願いいたします。





( ´_ゝ`)…



暮れの大掃除、注連飾りの取りつけ、初詣、いっぱい食べたお餅やごちそう。

なのになぜか今年は、お屠蘇気分に浸ることの無いままお正月が過ぎてしまいました。

なんでだろう?

年末から引きずっていた課題が、お正月気分に水を差したんだというのは自覚していたけど、それとは別の、もっと広い意味で、なんかこう…大事な「日本風情」が薄らいでいるように思えちゃったんですよね…。

人に訊いても「時代の流れだから~」で済まされてしまう。
そんなんでいいんですかね?


と、思っていたら、今日の産経新聞に的を射た記事を発見!

これは一人の大学教授の考察だけど、腑に落ちることばかり。
せっかくなんで、一部転載しますよ。


正月はもともとその年の歳神を迎えて豊穣(ほうじょう)を祈願する儀式だったようだが、そうだとすれば正月にはいくぶんかの宗教的な時間が流れていたことは間違いなかろう。
年が改まることで、旧年の恥や垢(あか)を洗い落とす。
真っ白な3日間は、日常から抜け出し、多少は神聖なる時間に浸ることで一種のみそぎを行い、新たな年の安全と豊穣を願っていたのであろう。
寺社以外はいっさい活動を休止するということ自体が集団的な儀式なのである。
この儀式をへて、人も社会もそれなりに新たに生まれ変わる。
非日常的で多少は神聖な時間の感触を宗教的と称するなら、正月にはどこか宗教的雰囲気があった。

それがなくなったのである。
新たな年にいたるという儀式的な手順が失われてしまった。
正月という特権的な時間も通常の時間も同じになってしまった。
それを隔てる敷居(ボーダー)がなくなったのである。

(前後略)
もっと読みたい場合はここ

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/110110/trd1101100346004-n1.htm

昨今の不景気で、今年のお正月ではスーパーマーケットやショッピングセンターが、元日の営業を取りやめたなんてニュースもあったけど、本来それでいいんじゃないの?
外出しても営業している店がないなら、家でのんびり過ごせばいいじゃん。
むりやり外出する必要なんかないでしょーに。

だって、おせちの立場が無いじゃんねー。
ついでに言うと、おせちも家族みんなで作ってみればいいよ。うん。
通販で怪しいもの送りつけられずに済むし。

( ^∀^)ゲラゲラ

年に数日くらい、ゆったりのんびりしようよ。


今年も油断ならない一年になりそうだけど、気持ちのどこかにゆとりを持って生きたいなぁ。。

そんなことを思わされた年明けでした。