こんばんは😊 
汗ダクのHickeyです😅💦
僕は気温が高いぶんにゃ全く構わないんだが
今日みたいに湿度が高いのは大嫌い😅💦
汗っかきなんで塩飴や塩タブレットも持ち歩く😅💦
でも冬よりやっぱり燃えるようにあつい夏が好き‼️
早く真夏になれ☀️😎



昨日は【肥後の國の主は…】

そういう題で話をさせていただきました‼️



まだ御覧になってない方は

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さて今日の本題はここから‼️

今日のテーマは【漬物の神様】‼️



このブログの読者の諸君ならば

僕があま市が好きな事は良く知っていると思う‼️

つい先日その事を話たばかりだね‼️


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そのあま市なんだが平成の大合併によって

七宝町•甚目寺町•美和町

この三町が合併してあま市となったんだな‼️

いわゆるひとつの

全国的に広がっているひらがな町名だ‼️

元々この辺りは尾張國海部郡だった‼️

海部郡とかいてあまぐんと読むので

あま市で間違いは無いという事になるんんだが

この辺りが元々が海部郡と知らない人達だと

『あま市の地名の由来は?🤔』

そう思ってしまうようなんだな🫵😒

実際に僕が住んでいる豊橋市あま市と同じ

愛知県にあるんだが地図で見てもらえばわかるが

豊橋市愛知県の一番東の外れにあって

あま市愛知県の西の方にある⁉️

その距離は約80㎞離れている🚴‍♀️💨

ちなみに方言も全く違う‼️

少し前まで僕のブログというのは言葉が少し尾張弁が

混ざったHickey語で話が進められていたし

Hickey超訳・古事記シリーズ

今もHickey語で進んでいっている‼️

Hickey超訳・古事記シリーズ以外

なぜ口調が最近Hickey語じゃないのか…

実は読者の諸君から

『方言がキツ過ぎて

内容がわからない時がある‼️』

そういう意見が数多く寄せられたために

内容が伝わらなきゃ意味がないという事で

なるべくわかりやすくするために少しだけ方言を

おさえる事にしたんだな‼️

さて愛知県というのがどんな地域かは

前にも説明をしているんだが…

まっぺんだけ説明しといたるわ😅💦

愛知県以外の人は良く知らないと思うんだが

愛知県にゃ大きくわけて

尾張、西三河、東三河

この三つの地域があるんだな🫵😒

この三つ地域は方言も文化も風習も全く違う😅

元々が尾張の國と三河の國が合体してできたのが

愛知県なわけだで尾張と三河で違うのは当然‼️

ほらっ❗️☝️😁

ガンダムだってAパーツとBパーツが合体して

はじめてガンダムだろ❓🫵😒

でもAパーツとBパーツじゃ全く違うものだろ❓

まぁ〜尾張と三河でどちらがAパーツ、Bパーツと

ゴチャゴチャ言い出すとモメるので言わないが…

でっ…三河も東三河と西三河では同じ三河なのに

全く文化や風習が違うし方言も微妙に違う😅

まぁ〜同じAパーツやBパーツであってもソコには、

利き腕や利き足があるわな😨💦

そんな感じで違いがあるだわ😨💦

えっ❓😳もうAパーツとかBパーツの話はいいって❓

はいはい❗️わかったよ‼️




尾張三河じゃ文化や風習も全く違うので

同じ県に存在しながら互いの地域の事を案外と

知らない人達が多い‼️

実際に豊橋の人達に対して

『あま市の市の名前の

由来ってしってる?』

僕がそう質問してみるとだね年配者達は

『海部郡だったからだろ?』

そうちゃんと正解がわかるんだが若い世代だと

殆どの人が『わからん😅』と答える‼️

中には地図を見ながら

『甚目寺ってあるし…

尼さんがいた❓🤔』

こんな頓珍漢な答えを言うものすらいる🫵😒

同じ県内の人間ですら

『あま市の地名の由来は?🤔』

そう思うんだから他府県の人達は更に頭の中が

『❓🤔』だらけになるんじゃないかと思う‼️

もしからしたら

海部あまと読めない人もいるかもしれない‼️

だがこの海部の意味こそが地名の由来なんだ‼️

この海部は実は古代の部民

というのは職業をともにする人々の集団の事だ‼️

それを踏まえて考えると

海部=漁業に携わる集団

そういう事になるわけだ🫵😒

今の地図を見ると信じられないかも知れないが

古代海進期の濃尾平野は海が奥まで入り込んでいた‼️



実際にあま市には今でも地名として

沖之島遠島などという島がつく所があるし

濃尾平野には枇杷島津島など島がつく地名が

散見される事からも広大で肥沃な濃尾平野がかつて

海だったことを物語っているといえる‼️

この地域に漁業に携わる集団をあらわす

海部が地名として使われたのも当然なわけだ‼️

そんな地域に全国で唯一の漬物の神社

萱津神社

この神社(かみやしろ)は鎮座してるんだな‼️

この神社に坐す御祭神は

鹿屋野比売(かやぬひめ)

この神様は伊邪那岐命伊邪那美命

神生みの際に生まれた神様で別名が野椎神

山の神である大山津見神と結婚なされて

4対8柱の神様を生んだとされている‼️


ちなみに

日本書記では草祖草野姫(くさのおやかやのひめ)

表記されているんだぞ‼️

草祖(くさのおや)だから草の祖神だとしてるな‼️





Hickey超訳•古事記にも当然ながら出てきてるぞ‼️

まだ見た事ない人や忘れてしまった人などは

下をクリックして確認してみよう⬇️



さていったいなぜ萱津神社

全国で唯一の漬物の神社となったのか

甚目寺郷土文化研究会の出版物である

【甚目寺むかしばなし】

これを元にし話をしていこうと思う‼️




【Hickeyの日本昔ばなし!】




《漬物の神様》


むかしむかしの事じゃった‼️

草津(かやつ=現•萱津)というところに

草木が生い茂りモッコリとした森があったんじゃ‼️

この森を今はあわでの森と呼んじゃが

その森の中には鹿屋野比売を御祀りした

草社(かやしゃ)とか種社(かやしゃ)という

神社(かみやしろ)が鎮座しておったんじゃ‼️

鹿屋野比売は野の神なので人々は

『まっとええ野菜がとれますように🙏』

『どらええ野菜がとれますように🙏』

そう祈りを捧げておったそうじゃ‼️

願いが叶うと人々は鹿屋野比売への御礼として

その年にとれたはつなり(初物)と呼ばれていた

瓜🍈茄子🍆などを御供えし

『神様ありがとうございます🙏

今年は豊作でした来年も豊作でありますように🙏』

そう祈りをして帰っていったそうじゃ‼️

まだ荒天や害虫などの被害が出てしまい不作の年は

『来年こそは豊作になるように

神さま守ってちょうよ🙏』

そう祈りを捧げてははつなりを御供えして

帰っていっておったそうな‼️

そうして人々が御供えのはつなり

山のように高くなっていっていったんじゃ‼️

山のように高くなるにつれ辺りは新鮮な野菜の香りと

少しづつ腐りはじめた野菜の臭いが混ざり合って

嫌な臭いがするようにいったそうな‼️

御供は神様のものであり腐るまでそのままにして

腐ってしまったら神子(みこ)さんが祈祷をして

捨てるならわしになっていたいたんじゃ‼️

嫌な臭いがするようになっても人々は年中

その季節にあったはつなりを御供えし

それが何年も何年も続いたそうなんじゃ‼️

この時代には草社(かやしゃ)からすぐ南は

海であり目の前は海岸線だったそうじゃ‼️

海で漁をして暮らす人々も多くおったんじゃが

中には塩を作り暮らす者もいたそうじゃ‼️

塩も大変に大切な物だったため塩を作る人々は

その年に最初にできた塩をはつものとして

鹿屋野比売に御供えをして

『塩が沢山とれるよう

天気が良い日が続きますように🙏』

『良い塩がとれますように🙏』

そう祈りを捧げて帰って行ったそうな‼️

このように草社には作物のはつなり

塩のはつものを御供するならわしは

何年も何年も続いていったそうじゃ‼️

ある日のことじゃった‼️

神に仕え神子(みこ)の一人が

『お供物を腐らせてまっては

もったいにゃあんじゃにゃあか?』

そう言い出したそうな‼️

そこで御供えをする人々も

『腐る前に食べてまったええんでにゃあか?』

そう言い出す者が現れ出したそうな‼️

だがならわしを守り

『そんな事をしたら神罰があたってまうがね!』

そういう者もいて意見がまとまらず…

人々は真剣に話し合いをしたそうじゃ‼️

そのうち一人が

『塩の御供えもあるんだでよ…

そう言い出して

『瓜や茄子と共に塩を一緒に

甕に入れてまって置こうじゃにゃあか!』

そう提案をしたそうじゃ‼️

そこで人々はとりあえず甕の中に瓜や茄子と一緒に

塩を入れて置いておく事にしたそうじゃ‼️

するとどうした事じゃ‼️

以前のようにはつなりは腐らずに

ちょうどいい塩漬けができおったんじゃ⁉️

この話は人々に瞬く間にひろがり

『神様のお供物からできた塩漬けなのだから

わけてもらえば御利益があるはずだて!』

『お守りにわけてもらいたゃあ!』

『長寿に御利益があるはずだがね!』

そう言って大勢の人々が集まるようになったんじゃ❗️

ある日のこと…

東征の道中で倭建命(ヤマトタケルノミコト)

この草社(かやしゃ)に立ち寄ったんじゃ‼️

そこで倭建命は不思議な塩漬けの話を聞き

『東征がうまくいきますように🙏』

そう祈願しながら塩漬けを食べたんじゃ‼️

『どらうみゃあがね⁉️』

そう倭建命は驚きながら

『こんな薮の中に《神の物》(こうのもの)

あるなんて思ってせんかったがね!』

そう言ったそうなんじゃ‼️

そうした事からこの塩漬けの事を

薮に神の物(やぶにこうのもの)

そう呼ばれるようになったそうな‼️

そののち神の物(こうのもの)

香の物(こうのもの)にかわっていって

薮に香の物という伝説になっていったんじゃ‼️

倭建命は後に伊吹山に山の神の征伐に出かけ

傷つき…その傷を癒す時にこの地に立ち寄り

薮で体を休めながら宮簀媛に会いたいと

願ったがついに会う事は叶わずに伊勢の國へと

旅立って行ったんじゃ‼️

この地に遅れてやってきた宮簀媛は大層悲しみ

その姿を見た人々は草津の森(かやつのもり)

あわでの森と呼ぶようになり

それを阿波手の森と記すようになったんじゃ‼️


おしまい


今でもあわでの森



萱津神社は鎮座している…



香の物殿もあり…



香の物祭も催行されていて

熱田神宮香の物が奉納されている‼️



こんな伝説ののこる萱津神社

諸君らも

参拝してみたらいいと思う🙏

その時に今日の話を思い出せば

楽しい参拝になるんじゃないか❓



愛知に遊びに来やあ‼️

あま市に遊びに来やあ‼️



皆さん‼️

どう思いますか❓

共に日本にために‼️

全ては日本のために‼️