イギリス1970年代音楽シーン(1) | TAKのブログ

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主として60・70年代のサブカルチャー備忘録、いけばななど…

 スーパートランプ記事からの続きですが、内容はイギリス社会におけるミュージック・シーンが中心です。

 

 社会の閉塞感に押しつぶされそうになっている1960年代イギリスの若者は、下級労働者階級でかつ治安の悪い港湾都市(泣く子も黙る?)リバプール出身のビートルズの成功に自己実現のヒントをみた。

 

 ピアノのように、裕福な家庭でなければ習得できない楽器ではないギター(しかも比較的安価で、少し背伸びをすれば手が届く価格帯のものが一定数量あった)を手にした。コードを押さえ弦をひっかきならしながら自分の置かれた立場に対しての不満や社会への皮肉を、母語(アングロサクソン系の言語たる英語)で、しかも電気仕掛けの大音量で主張すれば、イギリスだけでなく、全世界的に聴いてもらえ、有名になり、そして大金をつかむ可能性があると、「ビートルズが教えてくれた」。

 

      ※写真は「バッド・ボーイズ」。彼らの「ビートルズが教えてくれた」は

     つべに上がっているが、残念な音質なので、ジャケットだけを掲出しました

 

 そしてギター小僧が次々とあふれ出てくる中、テクニックを競い合うようになり、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックなどの腕っこきの若者がテクニックと人気のしのぎを削り合うようになる。

 

 またロンドンのストリート・ファイターという触れこみを引っ提げてストーンズがデビュー。伝説のギタリストジミ・ヘンドリクスも米国から拠点を移す。そして幸運にも音楽教育を受けられた階層からもロックの魅力に惹かれ参入する者が出てくる。イギリスならではの思想・哲学を背景に、1960年代終盤、エマーソン・レイク&パーマー(ELP)やキング・クリムゾンなどクラッシックのエッセンスを持ちこんだ「プログレッシブ・ロック」(以下「プログレ」)が誕生する。先日とりあげたスーパー・トランプの起点はここにあった。

 

 

 このあたりからブリティッシュ・ロックのベクトルは難解な方向へ向かい、あくまで「ショウビズ」としてロックをとらえていたミュージシャン(例えばエルトン・ジョン)たちは、1970年代中頃にはイギリスを後にし、拠点を米国に移し始めたのだった。

 

 プログレ全盛期の1970年代初頭、高い音楽性に加えビジュアルを重視する「グラム・ロック」(以下「グラム」)が出現。デヴィッド・ボウイやマーク・ボランと言うグラムをリードする旗手に注目が集まった。その後バッド・カンパニーやクイーンといった、ブリティッシュロックの正統な後継者が世に出てきたのが1973・4年(ブリティッシュ・ロックの「ルネッサンス」とでもいうべきか…)。

 

△マーク・ボラン

 

 一方クラッシックの素養が高いジョン・ロードが中心となり難解なロックを展開していたディープ・パープル(以下パープル)がリッチーブラックモアを前面に押し出し、超人的なテクニックと爆音をトレード・マークに転換したのがグラム出現のあたり。それまでの思想色が濃い感が否めないバンドから一気に「無思想」バンドへと戦略を変え、成功を遂げた。

 

 

 一方パープルとハードロックで双璧を成したレッド・ツェッペリン(以下ツェッペリン)は、あくまで思想臭さが抜けなかった。これはジミー・ペイジがテルミンという難解な「楽器」を好んでいたことによるかもしれない。旅先では数々の「暴れん坊」の爪痕を残したバンドだが、その音楽性にはどこかブリテン島のヒストリー・テラーのような、あるいはケルト臭がほのかに漂ってくるという気が、ワタシにはするのだが。

 

 

 しかして、多方面に分裂をはじめたブリティッシュ・ロックは、ますます「ニッチ」な分野に枝分かれし、マッドやルーベッツのように「自己満足のためのロック」、あるいは「ステージさばきが楽しいロック」というように、イギリスの「ヘンコな(少し変わった)人たちに受けていればいい」というような音楽へと、一種退廃のような様相を見せ始めていた。このため一般的なロックを好む層を中心に、先述した正統派ブリティッシュ・ロックたるバッド・カンパニーやクイーンが求められた背景なのではないだろうか。

 

 

 そして隘路に入っていたブリティッシュ・ロック界に新風を吹き込んだのが、女性人気を背景にしたベイシティ・ローラーズ(以下BCR)だった。しかし彼らはケルト人の土壌であるスコットランド出身者たちであり、アングロサクソン系イングランド人ではないことに留意したい。

 つまりイングランドの王侯貴族を頂点とした階級社会の様相が色濃く残る1970年代半ばのイギリスにおいて、「スコティッシュである」ことを前面に出して「人気商売」に打って出るのは、実に高リスクの戦略だったといえよう。何せスコティッシュの象徴であるタータンチェックをキャッチ―に身にまといステージに、テレビに露出するという大胆な戦術を採用していたのだから。


 

 その彼らを人気者にしたのは、他でもない(そういう社会背景を全く知らない)若い日本女性だった。彼らは本国でも人気が出ていたが、日本女性の熱狂的な後押しでイギリスでの評価が高まったことは否めないだろう。「人気の逆輸入」とでも言うべきだろうか。

 

 一方ブリティッシュ・ロックの正統派クイーンも、BCR同様日本で火がついた。だがこのバンドの面白いところは、ロック好きな日本人男性からはその高い音楽性に評価を得られていたのだが、一方でルックス重視のミーハー日本人女子からも強い支持が得られていたことにある。ただし(おそらくだが)クイーンのファーストおよびセカンドアルバムは難解で、女子はこれらを敬遠し、「キラー・クイーン」がフューチャーされた『シア―・ハート・アタック』以降のクイーンを好んでいるのではないだろうか。

 

△クイーンのファーっスト・アルバム

 

▼この項続く

※写真はすべてお借りしました