思い出をリアルな世界に連れ去るのか…槇原敬之 ズル休み | TAKのブログ

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主として60・70年代のサブカルチャー備忘録、いけばななど…

 今日久しぶりに書いた記事は、大病院で2つの科を受診する間にスマホで書いたもの。コンピではどのように表示されているかわからないままでした。で、「あぁ、やっぱりこんな風に表示されるんだぁ…」と今改めて思っているところ。

 受診後社会福祉科で2講義を済ませ、自分で作ったごちゃ混ぜのCDを録音した自家製アルバムを久しぶりに聴きながら、心地よい交通量の、雨上がりの阪神高速で帰路についた。で、この曲が飛び出してきた。度々聞いていたころにはさほど気にはしなかったのだけど、今日何となく聴いていると、どういう訳だかめちゃめちゃ切なくなってしまった。

 自分の場合、東京の荒波にもまれながら、自分を見失わないよう、流されないようにと必死で生きていた。何人かの女性と心通わせたこともあった中、この歌のように心が空洞になり、隙間風が入り込んできてしまったというような経験、それがフラッシュバックされてしまったようだ。さすがに失恋でズル休みはしなかった、いや覚えてないだけなのかな?したかもしれないな…ま、都合の悪いことは忘れているってことにして…

 記憶を呼び起こしたキーワードは、「留守番電話の点滅」。一気に30年前のアイツ(若い時の自分)がリアルに出現した気がした。現実として高速道路を走っているにも関わらず、20代後半のアイツが瞬間ココロとカラダを支配し、ココロとカラダが今、ここから乖離したかのようで…



 槇原氏の歌詞は、光景が見えてくると評する人がいるけど、ワタシの場合は一部フレーズがデジャブを呼び起こし、その光景に向けて言葉がナイフのように突き刺さってくる感じがする。

 『もう恋なんてしない』に出てくるフレーズ、「いつもよりながめがいい 左に少しとまどっているよ」も、何気ない一言だけど、日常がリアルに変わってしまったということを、「とまどい」といった、乾いた表現をとっているけど、実はどうしようもなく打ちひしがれている状態からやっと抜け出せたという心持を表現している。
 もしかしたらこのヒト、とんでもない才能の持ち主か、それとも「よほどのオセンチな正直者」なのかもしれないな。

 そして同じ曲で混じり込んできているフレーズ「君あての郵便が ポストに届いているうちは…」ラインやメールはおろか、ケータイすらない時代、別れた相手の消息を知る手段の中で、一番正確でかつその人の存在を再認識させられる事態が郵便物。届かなくなったということは、どこかに定住したということ。届いているうちはどこかの街のかたすみで、何も決められずに迷っているのだろう…ケータイが普及する前は、不便を不便と感じるすべもない中、「想像」(あ類は思い過ごし)をロマンと誤認していたのかもしれない。

 自分の娘が一人暮らしを始めたから、とりわけ自分の若い頃の思いがリアルにリペアされてしまったのかもしれないな、とりわけ、今日は…