この歪んだ現実をよく見て下さい | 自然を愛する理想主義おやじのつぶやき

自然を愛する理想主義おやじのつぶやき

理想と現実の違いを見つめながら、日々思いついたことや感じたことを綴りたいと思います。自然を愛することは自分を愛し、母なる地球の未来に希望を託すことです。本当の幸福への第一歩だと思います。

能登地方を襲った震災が発生してから10日が経ちました。私は過去において自衛官として災害派遣に関する訓練を受けていましたが、その時の最大重要事項は時間との闘いでした。

 

一刻も早く準備を完了して災害現場へ向かうこと、一刻も早く現状把握をして救出行動を取ること、早期救出のためには、場合によっては危険を顧みない行動が伴う救出活動になることなどを教育されました。

 

そのための資材準備や人員確保の手順及び組織編制、出発までの迅速な行動及び準備などを演習したり、検討したりしました。その中には、隊員全員が一致団結して任務に当たることがとても大切であるということが含まれていました。

 

それは、非日常的な場面においては何よりも単独行動を控え、チームワーク力がとても大切だということです。誰もがバラバラに動いていては情報の共有や作業効率の低下という事態になりかねません。

 

そのような観点からこの度の政府や自治体の対応を振り返ると、下記の通りに植草先生が述べられていることが的を得ていると思います。「やればできるのに、あえてしない」ということです。そんな政府の対応に根ずく、日本人に対するネガティブ対応には意味があります。

 

災害発生直後の報道において、国や自治体の現状把握が非常に不適切で的外れだったこともあって、それと連携するかのようなテレビ報道などによる被害状況の情報発信が歪められていました。

 

常識的には大したことないと思える地震の規模であっても、あえて最大の被害を想定して警戒を促すべきところですが、津波の高さの想定や被害者の人数などが当初は実際より低く見られて報道されていました。

 

救出活動も切迫したものではなく緩慢さが感じられました。地震発生後すぐに行動命令を出せば助けられた命を見殺しにしました。またドローンなどの飛行を禁止するなど、災害時の情報収集に欠かせない手段をあえて使えなくしました。

 

そのため実際にどのような被災状況なのかが伝わることがありませんでした。志賀原発の状況も曖昧にしか伝えません。これは意図的であり、何かを隠蔽するための行動ではないかと感じています。

 

表に出ている政治家は単なる操り人形に過ぎず、操る者や操るのを監督する者、そして操ることを命令する者がいるということです。ですから政治家に憎悪する気持ちよりもその体制を探究して糾弾することの方が意味があります。

 

芸能人やマスコミなどに対しても同じです。エゴ的な快楽を求める松本人志を憎んでしまうのも仕方ないですが、その裏には、アドレノクロムや覚せい剤などの摂取に誘導して人間性を破壊するなどの非道を尽くす組織的な活動があることを見逃してはいけません。

 

こういった背景が実在する現状においては、どんなに正義を振りかざしても空振りさせられてしまいます。自衛隊や消防、海上保安庁などがいち早く災害派遣準備をしていても、行動命令がなければ動けないで待機させられます。勝手に自己判断ができない仕組みなのです。

 

助かる命はあっても助けない非道さが実際にあることを知ることが大切です。この今の国は私達を助けてくれる存在ではないことに気付けないのならば、みんなが笑顔で過ごせる世界はまだ来ないかもしれません。根幹からすべてを変えることの大切さを感じて欲しいと思います。

 

植草一秀の『知られざる真実』

2024年1月10日 (水)

被災者救援は生存権の保障

石川県でマグニチュード7.6の大地震が発生して10日目になった。本ブログ、メルマガでは、当初より大きな財政資金投下の決断、自衛隊ヘリを活用した被災者救出、被災者の空路での遠隔地避難、宿泊・入浴・食事のできる施設への移送を提言し続けてきた。

 

1月3日付ブログ記事「被災者救援に財政資金投下せよ」
https://x.gd/4mqTn

メルマガ記事「国民の為に財政資金使わない政府」
https://foomii.com/00050

 

これらの訴えがようやく政府に届いたのかどうか。1月9日になって初めて金沢市に遠隔地避難のための中継施設が開設された。1月10日以降に避難者の宿泊施設での受け入れが始まる。しかし、地震発生から10日の時間が経過する。

 

被災地での被災者救出活動は著しく遅れ、多数の住民が犠牲になっている。72時間の壁の言葉が象徴するように、被災者救出で最重要の要素は時間だ。自衛隊の救出能力を活用しているが戦力の逐次投入の見本のようだ。

 

地震発生直後に1万人の投入を決断して実行するべきだった。石川県の馳浩知事は地震発生時に東京に帰省していた。新幹線も動かず、石川県に戻る交通手段が絶たれた。馳知事は自衛隊に要請して直ちに自衛隊ヘリコプターで石川県に帰還した。

 

この「スピード感」が自分自身にしか適用されていない。地震発生の直後に自衛隊ヘリによる空路での避難者移送等が決断されるべきだった。自衛隊の投入が遅れたために、多くの助かる命が失われたと考えられる。

 

また、避難所が決定的に不足し、避難者がベッド・布団、暖房、トイレ、食料、入浴の絶対的な不足に直面している。避難所のキャパシティーを大幅に上回る避難者があふれ、多数の被災者が車中やビニールハウス等での避難生活を強いられている。

 

これらの要因により、感染症の感染拡大も報告され、震災関連死がすでに多数報告され始めている。地震発生の直後に巨大な財政支出の決断を行い、自衛隊戦力の大規模投入を決断し、空路と海路を全面活用する戦術を構築するべきだったが、基本的には他人事対応で被災者救出、被災者支援が遅れに遅れてきた。

 

政府の最大責務は国民の命を守ること。日本財政の軌跡を検証すれば、とてつもない巨大財政支出を実行できる資力があることは明白だ。コロナパンデミックが広がった2020年度から2023年度までの4年間に補正予算で計上された追加財政支出は154兆円に達する。

 

4年間の本予算での、すべての政策支出(社会保障、防衛、コロナを除く)は合計で約92兆円。これに対して総額154兆円もの放漫財政支出が補正予算に計上された。コロナにかこつけて利権官庁が所管業界・企業、天下り先の利権を一気に収奪したものと言える。

 

利権支出のためには豆腐を買う感覚で1兆、2兆の金を散財するのに、一般国民のための財政支出は1円でも多く削ろうとする。1人10万円の一律給付も、当時自民党政調会長だった岸田文雄氏がまとめた提案は、一人最大30万円だが総額4兆円の給付だった。

 

批判が沸騰して1人10万円の一律給付になった。これで総額13兆円の給付が実行されたのである。巨大地震が発生した直後に大胆な財政支出の方針を決定し、迅速に実現可能な施策を全面的に展開すれば、被災者は救われる。

 

被災された多数の市民が寝る場所もなく、暖を取ることもできず、食料もなく、入浴は無論のことトイレさえまともに使えない状況に放置された。これは憲法が保障する「生存権」の侵害である。

 

日本国憲法はすべての国民に対して、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障している。被災者の地震発生後の状況は、文字通りの生存権の喪失である。天災地変であるから理不尽が生じるのは避けられないが、その理不尽を最小にするための政府の断固とした行動は必要不可欠だ。

 

これまでの政府対応を見れば、被災者の生存権を守るために全身全霊を注いできたとはおよそ言えない。決断し、実行できることを、すべて先送りしてきたと言わざるを得ない。

 

国民にとって一番大切な政府の役割は、いざというときの対応。いざというときに国民の命と暮らしを守るために全身全霊で行動する。そのような心のある政府が求められている。