怖れないで下さい | 自然を愛する理想主義おやじのつぶやき

自然を愛する理想主義おやじのつぶやき

理想と現実の違いを見つめながら、日々思いついたことや感じたことを綴りたいと思います。自然を愛することは自分を愛し、母なる地球の未来に希望を託すことです。本当の幸福への第一歩だと思います。

元旦から大きな災害が起きています。被害に遭われた方々に対して心よりお見舞い申し上げます。この先にはこのような人工的な災害が数多く発生する可能性があります。闇側のなりふり構わない悪なる所業が続きます。

 

しかしこれは以前から指摘してきた通り、私達を巻き込んで果てようとする闇の捨て身の攻撃なのです。マシュー君は言っていました。不測の災害での死亡事案はその魂が手厚く対応を受けられるということをです。

 

闇と光との戦いにおいて残念ながら誰しもが無傷でいることはできません。不慮の死を覚悟することも仕方のないことです。肉体を保有しながら生きるということは、痛みも苦しみも悲しみも味合わなければならないということです。

 

ただ私達にはそれぞれに使命があります。そして自らが選択した目標や目的があります。それが生きることの意味です。私達は決して弱い存在ではありません。確かに厳しい現実を前にして尋常ではいられない気持ちになるでしょう。

 

でも、それでも私達は毅然とした態度で前を見つめて、その闇に対して光を発しなければなりません。神の子として、自分の自由意思を持って光を放つことが求められます。善も悪もなく争わずにすべてを認め、すべてを許す態度や意識が求められます。

 

どんな場面でもそんな高い愛を示すことができるのかを試されています。この2元性の仮想現実の中で、不自由な肉体という仮の姿においてそれができるのかということです。それは分かっていても本当に難しいことです。

 

死を恐れず、どんな目に遭おうともそれを受け入れる覚悟と、どんな場面でも周りの人たちに愛を示すことは、かのイエス・キリストが行った私達に示した模範です。そんな偉大な聖人の真似などとてもできないとしり込みしてしまうかもしれません。

 

しかし自分の身を顧みずに人を救う勇気をとっさに示すことができるのは事実です。人には隠すことのできない神の心があるからです。愛が至高のエネルギーであることを知っている魂の存在であるからです。

 

人はただ生きている訳ではありません。成長し、進化することを願いながら生きています。これは自分の意思というより、神による行動プログラムによるものです。ですからそれを忘れ去ることがあっても決して失われることはありません。

 

そのプログラムを自認することで神なる能力が開花すると言われています。すなわち自らが神であることを何の疑いもなく認められる時です。そして常に愛に基づいた意識と行動を示すことが自然であると思うことです。

 

それは神の法則を完全に理解し、すべてと調和しようとする人間本来の姿です。私達はもうすぐそのような本来の姿を取り戻す時が来ます。何も怖れることはありません。闇は私達を少しでも恐れさせ、不安がらせようと必死です。

 

自分の意識において、そんな闇の存在を認める必要は全くありません。私達の意識エネルギーは目の前の現実を現すための唯一のものです。闇の存在達は私達の意識エネルギーを利用しているに過ぎません。

 

自分達が存在できるネガティブな低い周波数のエネルギーを私達に発生させるために必死なのです。それによって現れた現実において支配的であろうとしています。ですから闇を衰退させるには私達が闇にコントロールされないことが一番大切なことなのです。

 

愛を示す意識は高い波動を生み出し、闇を一瞬で消し去ることができます。そうすることで闇が求める暗い現実を遠ざけることができます。どうか暗い出来事に負けないで、愛を示す気持ちを大切にして下さい。

 

私も今起こっている現実を変えようと強く念じています。皆が笑顔で過ごすことを強く祈っています。失われる命に対して辛い気持ちを抑えながら戦っています。本当の夜明けが来るまではそれを続ける覚悟です。何も怖れることはないと信じています。