こんにちは!長らくご無沙汰しておりました。久々の投稿となります。
さて今回は中川清秀公を調べていくうちに知り合った茨木市の郷土史家・東實文男先生のご厚意により、先生の論文を紹介させていただきます。
「為那(いな)の中道」や今まで詳細が不明だった「中川屋敷の跡」について述べられています。
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
さて新年早々京都にある古田織部美術館へ行ってきました。お目当ては『古田織部の実像』~古田家譜 豊後古田家伝来~ の初公開です。古織こと古田織部さんは御存知、中川清秀公の義弟(妹婿)ですね。
先日(12月11日)、豊中市の原田城跡近くで行われた発掘調査の現地説明会に行ってきました。
調査地点からは弥生時代の集落関係の柱穴の跡とともに、原田城の堀跡とされる遺構が発見されました。
説明会資料です。見えますかね。。。
調査地点は“原田城跡・しろあと館”の南東の住宅建設地。説明によると堀の幅は4メートル以上と推定され、深さは70センチとのこと。堀としては小規模なことから郭の区画をへだてる堀ではないかと推測されていますが(近くには“字二の丸”の小字名があることから)詳細は不明とのこと。調査から15世紀頃(応仁の乱とかがあった時代)と推定され、原田城の変遷を考えるうえで重要。
堀跡は当時、よく管理されていたようで出土品はあまりありませんが、土師器の小皿(使い捨ての土器。現代の感覚で言うと紙コップ的な?)や土器の羽釜(いわゆるお釜)が出土。
当日は“しろあと館”でパネル解説もありました。
しろあと館の庭園。
徐々に全貌が解明されてゆく原田城。歯がゆい感じですが今後の発掘成果に期待したいです。昔の光今いずこ。。。