人に感謝、恩師に感謝、友達に感謝……。

自分に厳しい言葉を投げかけてきた人にすら感謝。

とかく感謝という言葉が好きでしょうがないという人達がいる。

それは気持ち悪いくらいに感謝感謝感謝。

その根底にあるものは、「たとえ、自分に厳しい態度で接してきた人間からも得られるものはあった」という前向きな態度というものをアピールすることにあると思う。

逆に「恨み言をいうのは後ろ向きである」という観点から批判される。

本当は弱い自分がいるのに、それを周りは認めてはくれない。

だから、周囲には弱い自分を隠すしかない。弱いものは忌みきらわれる。

だから、辛いことがあっても感謝感謝と気持ちの悪さを感じるくらいに強調する。

聖書には神に感謝しろと書いてある。だからクリスチャンも感謝感謝が好きな連中がいる。クリスチャンとして正しい態度を周囲に示す必要があるからだ。

だが、本当の本当の本当に感謝していなければ、そのような感謝は無意味だと言える。

辛いことがあっても感謝するって少なくとも僕にはできない。
そんな虚勢をはることは、人に認められるために意味はあるかもしれないが、虚勢をはった自分を人が認めてくれたとしても何の意味もない。強がって嘘を言う自分が認められても、本当に自分を認めてくれてはいないわけだから。

もしくは本当は感謝なんかしていないのに、神に感謝なんて言ってなんになるのか?

神は人間の心の中まですべて知っていると聖書にはある。
その神の前に偽りの感謝の態度を取って、なんの意味があるんだろうか。

感謝というのは、痩せ我慢的に示すものではなく、本当に心のそこから感謝できていることが大切だと思う。