「その時の元旦は冬至であった」

新嘗祭があるその日、迎えられる神は歳神の饒速日命と言う事になる。

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★目次

☆1 御火待

☆2 冬至にあるもの

 

  御火待

 

(「儺の國の星」拾遺 51、神直毘星*かんなびほしより引用)

那珂川では陰暦十二月十五日の夜を御火待(おひまち)として、部落の一族が一つ家に集い、夜を徹して酒宴を団欒(だんらん)に興ずる行事があって今も続けられている。

 胡正月は陰暦一月十五日の方であるが、那珂川にはその式例はない。(真鍋,1985,P41)

 

他にこのような記述もある。

現代の忘年会の起源はまさに御火待あたりにあったのかもしれない。(真鍋,1985,P43)

 

御火待は来る年の一陽来復を祈る行事だったかもしれない。

(真鍋,1985,P43)

 

那珂川であったとされる御火待は、正月前にあった忘年会の起源ではないかとある。

 

今、正月前にはこのような行事はない。

何に当たるのだろう。

 

2023年~24年で見てみると

冬至は新暦で12月22日頃。

旧暦だと11月26日になる。

 

旧暦で12月15日は、新暦の1月9日。

他の年で見ても、旧暦12月15日は大体一月中になる。

 

一月中に那珂川である行事と言えば、ほんげんぎょうだろうか。

これが昔の、御火待(おひまち)に当たるのかもしれない。

 

かの本には、その時に地域の者が集まって酒宴をひらくとあるので、御火待がそれだったと十分考えられる。

 

他の地区のどんと焼きになるが、旧暦では正月前になるので真鍋氏が言われる「一年の暦制を更新する復活の祭典」

になるかもしれない。

 

元は正月前にあった宴を、新しい年のお祝いとしてどんと焼きの時に行っていると思われる。

 

 

  冬至にあるもの

 

その時の元旦は冬至にあたった(真鍋,1985,P42)

 

旧暦の元旦は、1月後半から2月後半の間なので、「その時の元旦は冬至にあたった」

これは何を意味しているのだろう。

 

改暦前の新嘗祭は、その冬至にあった。

冬至の日が一年で一番昼が短い。

弱まった太陽神の復活を祈る神事になるだろう。

 

太陽の復活祭を新しい年の始まりととると、冬至が「一年の初め」になる。

 

 

冬至の頃、0時の南中にはオリオン座の三ツ星がある。

それは住吉神の化身。

 

住吉神は高良神と同神であり、物部の祖神の饒速日命。

皇祖神、天照。

 

ゆえに、石上神宮の蘇りの儀式、魂振り神事と同じ日にある。

 

しかし今は天照は女神のみ。

彼の后の御炊屋姫。

全て、物部の祖神に繋がる。

 

かの本の著者、真鍋氏の先祖はその物部氏。

太宰府で星暦を作る職にあったという。

物部と暦は深く結びついていた。

それは彼らの先祖が、大陸から持ち込んだ知識なのかもしれない。

 

那珂川市*中央が安徳台

 

冬至に新嘗祭があり、関わる神は同神の天照、饒速日命、住吉神、北辰の神。

 

ここでもう一柱の神が加わる。

新年に現れるという歳神。

彼もまた、饒速日命であった。

 

つまり、新嘗祭がある日、迎えられる神は歳神の饒速日命と言う事になる。

 

全て彼に繋がり、同神であるのだ。


 

*****

 

私は那珂川に住んで二十年以上経つが、地区で集まっての行事や祭りがほんとに多い。

 

1月のほんげんぎょう(どんと焼き)の時は、餅つきした餅や、ぜんざい、お酒がふるまわれて、近所の人とわいわい盛り上がる。

 

伏見神社の祭りでは神楽。

現人神社では流鏑馬。

各神社では夏越の祭り。

近年始まった裂田溝のライトアップもある。

 

きっと、「御火待」を古来からしてきた土地だからなんだと思う。

 

行事や祭りは、人と人を繋ぐ。

神と人を繋ぐ。

 

この街が好きだ。

ここに根を下ろさなければ、きっと彼らにはたどり着けなかっただろう。

 

 

(つづく)

 

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