二柱の天照は、織女神と住吉神。
彼らは星神であるので、その神事は星と密接に繋がる。
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★目次
☆1 織女は星と大地の女神
☆2 星神と星祭り
☆3 織女神は女神天照
☆4 新嘗祭の神と七夕の神
織女は星と大地の女神
(「儺の國の星」32、榧星(かやのほし)より引用
古事記神代記上に曰く
野の神、名は鹿屋野比賣(かやのひめ)の神を生みたまいき...
榧星(かやのほし)は織女Vega(ベガ)の古名である。
...韓人倭人は織女を祈る天壇を伽耶と唱えた。遠く離れた地中海のGaiya(ガイヤ)に遡る古語である。
神話に登場する神は、星の古名から考えられたものが多いのではないだろうか。
これもその一つであろう。
織女は星の女神、ガイヤは大地の女神である。
織姫である「かや」は、大地の女神でもあった。
繋がる神は、豊受大神であり、宇迦之御魂神なのである。
星神と星祭
(「儺の國の星」32、榧星より引用)
...”たなばた”とは、田仕事始めを略して田初と書いていたのがはじめときいています。”たのはな”の訛であります。那珂川では一番、或いは初始を”はな”と...
…北方では織女が大地を離れる深夜を以て耕作の無事を祈る故事がやがて畑が田に移り、麦が稲にかわる時代になると、織女が天頂に達する夏の日に水の多きを祈る星祭りになって七夕の伝説が広く世に行われるに至ったのであります。
では、上の文を箇条書きにしてみる。
*”たなばた”とは田初(たのはた)であり、田仕事の初めを意味する。
*那珂川では一番を、はなと言った(初っ端のはな)
*たなばたは織女のこと(上では略した)
*星祭りとは、織女(ベガ)が天頂に達する頃に水が多いことを願う祭り。
田の初めの「たのはた」という言葉が、星祭りの「七夕」と結びついたということになる。
織女である琴座のベガが深夜(夜中の0時)に天頂に来るのは、なんと新暦の7月7日であった。
二十四節期では、小暑の頃(年により違う)。
七夕の行事は、奈良時代に中国から入ってきた。
中国でも、彦星はわし座のアルタイル、織姫は琴座のベガという概念は共通。
しかし、昔から旧暦の7月7日(新暦の8月16日頃*年によって違う)に行っていたので、上記の星の位置は関係がなさそうだ。
その頃に見える特徴的な星々であるからと思われる。
日本にはそれよりも前から「棚織女(たなばたつめ)、織女」があり、その日までに神の為に織物を織り、神に捧げるという民間信仰があった。
これは古事記にもある(下記でも触れる)。
では「儺の國の星」を解く。
☆たのはた(田の初め)5月末~6月上旬
那珂川では毎年5月末から6月上旬頃に田植えが始まる。
琴座のベガは、5月末(25日)だと8時、6月上旬(10日)だと7時頃には見えている。
「田の初め」に見えるベガは、これを示していると思われる。
田植えの基準となった星かもしれない。
☆織姫が深夜に天頂に来る*新暦7月7日
図1にあるように、今の七夕(7月7日)の深夜0時、天頂にベガがくる。
これが上記の
「北方では織女が大地を離れる深夜を以て耕作の無事を祈る故事」
「織女が天頂に達する夏の日に水の多きを祈る星祭り」
ベガが天頂にあり、田に水を湛えている新暦の七夕の頃を指しているものと思われる。
もしかすると、那珂川では元々この頃に星祭をしていたのではないだろうか。
織女神は女神天照
(「儺の國の星」32、榧星より引用)
...天照大神の条に服屋(はたや)の詞がある。
...倭人は𣑥幡千千姫の頃から草木の繊維で織り整えた衣をもって身を隠した。
何度も書いているので、振り返り。
神話の神は全て二柱に集約される。
スサノオ命の狼藉で亡くなった機織り女も、天照大神自身を示唆していた。
織女とは、𣑥幡千千姫(たくはたちぢひめ)であった。
七夕神社と言われる、福岡県小郡の媛社(ヒメコソ)神社の御祭神。
共に祀られるのは、神話で御子とされる饒速日命。
しかし、親子では七夕の伝承は成り立たない。
彼女は、名を変えられた彼の后である御炊屋姫(みかしやきひめ)。
もう一つのヒメコソ社と同神と示唆する伝承があり、織女=市杵島姫命となる。
市杵島姫命は籠神社の豊受大神(絵馬に描かれる)。
大神神社の御炊社は御膳津神(みけつかみ)を祀り、豊受大神、宇迦之御霊と同神であった。
饒速日命の后、御炊屋姫の名はそれを意味するもの。
また、女神天照は撞賢木厳御霊天疎向津媛=厳島神社の神=市杵島姫命なので、
織女神=𣑥幡千千媛=市杵島姫命=御炊屋姫=女神天照
となる。
織女神は、市杵島姫命である宗像神。
ゆえに宗像大社の中津宮は、七夕発祥の地とされている。
彼女は豊受大神であり、宇迦之御魂神。
「かや」である、大地の女神でもあるのだ。
後に出るが、御炊屋(みかしきや)にも、織女の意味がある。
旧暦7月7日で行われていた七夕は、星を神に見立てた祭りであったが、新暦のその日の深夜にベガが天頂にくるとは偶然では無いかもしれない。
日本には新嘗祭という神事がある。
新嘗祭の神と七夕の神
新嘗祭は旧暦であったからこそ、意味が通る。
今は11月22日から23日にかけての神事。
元々は旧暦の11月22日前後の冬至頃(新暦の12月22日前後)にあり、新暦にともない一か月ずれている。
冬至の頃、深夜0時に三星が天頂に達する。
かの社では22日、魂鎮め神事が行われる。
祭神、饒速日命の命日とされ、蘇りの祝詞である、十種神宝祝詞が奏上される。
彼の魂の蘇りを願う神事なのだ。
彼は、もう一柱の天照。
冬至の頃に行われたであろう神事から繋がるこれらのことは、「皇祖神との魂の継承」を意味している。
意味が無いものは、神事となり得ない。
立山に御一緒した山友の法禅さん(前は太賢さん)が言われるには、旧暦から変えてしまった今は、千何百年と続けられた神事の根底から変えてしまい、その意味が分からなくなっているとされている。
「新嘗祭」の住吉神は、高良神により天照に繋がる。
彼は饒速日命であり、物部の神であった。
その后の御炊屋姫が、女神の天照であり、高良神の后の神功皇后。
七夕神の織女である瀬織津姫=天照だ。
「新嘗祭」「魂鎮め神事」に繋がるオリオンの三星=住吉神は饒速日命=男神天照。
「七夕祭」の琴座のベガ=御炊屋姫=女神天照。
二柱の天照の神事が、「それぞれの星が深夜に天頂」を示す日であるのは、偶然でないかもしれない。
(つづく )
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小分けなので分かりやすいかもです
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