安住(あづみ)なる氏族は舟人として上古にしられた家系でありまして、北辰を氏神として祈ってきました。
(「儺の國の星」より)
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★目次
☆1 二柱の布留神
☆2 蹈鞴の神*勢夜陀多良姫と大物主神
☆3 綿津見神は高良神
二柱の布留神
(「儺の國の星」12、槖吾星(つわのほし)より 引用)
中東の古語で星をVjella(ビエラ) 或いはMuru(ムル)と呼んでいたと聞く。...斗極を妙見とよぶ。元来は星見の天女であった。吉祥天の名はこれも星の胡語 Gidda(ギダ)の音写であり、やがてこれが北の語源となった。...妙とはムルの韓約であり、倭人はこれを布留と書し、やがて比賣の意を仕立てたことになる。
布留神は、石上神宮の神である。
布留とは、元々二柱を意味するのかもしれない。
上記から、星を意味し、比賣の意。
また、隕鉄(隕石の鉄)の剣=星からできた剣とも記されている。
社の神は、大抵男女が祀られている。
陰と陽で一つの存在であるからだろう。
それが石上神宮では、饒速日命と神功皇后である。
彼は高良神であり、彼の后が神功皇后。
その実、彼女は饒速日の后の御炊屋姫であった。
彼らは二柱の天照であり、彼らが祀られる伊勢神宮からも繋がる。
内宮の神は、寂しいからと籠神社の月神を呼び寄せたという。
籠神社の神は豊受大神と天火明命。
では、呼びよせたのは外宮におられる豊受大神であり、内宮の神は天火明命となる。
この二柱が男女の天照。
饒速日命と御炊屋姫。(詳細、↓こちら)
彼は天照でありながら、歳神であり、宇迦之御霊、お稲荷様と豊受神の性質も持つ。
彼女、御炊屋姫の名は豊受大神を意味するが、女神の天照でもある。(上記、リンク先詳細)
御炊社
大神神社の御炊社の神の御膳津神(みけつかみ)は、豊受大神であり、宇迦之御霊を意味していた。
女神天照は厳御霊=市杵島姫命=宗像神。
彼は高良神、宗像神とともに筑紫の神。
では、二柱は筑紫へと移っているのだ。
彼らがこちらでは、名を変えられ、高良神と神功皇后になる。
石上神宮に彼女が祀られているのは、その后の御炊屋姫であるゆえ。
その社の地名は元は丹波市であった。
高良大社に伝わる「高良玉垂宮神秘書」にある、神部物部を秘すために名を変えた五氏の一つが丹波氏なのだ。
かの社を守る一族も、高良神(饒速日命)と共に天降った部族となる。
石上神宮の神である、布留御霊、布都御霊は、剣に宿った神だという。
この項には、自らの生命を守るものが剣だとあり、これを作る器を”つわな”といったとある。
剣は魂そのものを意味し、故に「剣」は布留神の御霊なのかもしれない。
twan(ツワン)は金物類の総称として鍔物(つばもの)の名があらわれ、そしてこれを茣蓙(ござ)に並べて物々交換をする場を椿市(つばいち)とよびました。
椿市は三輪山の麓にあったという。
饒速日命が始めたともされている。
彼は「布留神=剣の神」であり、言わば”つわな”の神。
椿市が鍔物と関連があるのは、偶然ではないだろう。
蹈鞴の神*勢夜陀多姫と大物主神
(「儺の國の星」12、槖吾星より 引用)
”つわな”とは”とばた”即ち太一の高麗訓読である。始元の数なる一(いち)を”はな”と言う。...”とばな”の坩堝(るつぼ)を操る工人をギリシャ語では Cyclopos(キプロス)と讃えた。その器を倭人は”ささら”或いは”せやたたら”と呼んだ。日本書紀巻三神武紀元一(前661)年に勢夜陀多良の名が見える。
たたらとは蹈鞴、多々良とも記される。
(上の記事より)
蹈鞴とは、砂鉄精錬所のことであり、それこそ上記の隕鉄や砂鉄から金属を精錬する場所。
そこから、火を扱う者たちによって、「フル」「フツ」が神の名となったのであろう。
蹈鞴の神である金屋子神、天目一箇神(あまのまひとつかみ)も彼と同神である。
布津神、布留神が祀られる石上神宮の神は、饒速日命。
彼が、蹈鞴の神ということになる。
彼は三輪神。
大神神社には御炊社があり、彼の后である御炊屋姫の名は豊受大神を意味していた。
それは、主祭神である大物主神が天照であり、彼女の夫神の饒速日命であることを示す。
「儺の國の星」にある勢夜陀多良姫は、古事記では大物主神の后であった。
彼が蹈鞴の神であるのだから、勢夜陀多良姫は、それに対応する名であろう。
彼女、自身になる。
尚、同神として玉櫛媛、三島溝樴(みぞくい)姫の名もある。
伏見神社*岩戸神楽
彼は、櫛玉甕玉彦、三島神。
三島神は奈良では布留神=石上神宮の神
筑紫では高良神を意味している。
彼らは夫婦であるので、対応する名がつけられているのだ。
なお、「儺の國の星」には、みぞくいは御栄井であり、砂漠の中のオアシスを意味するとある。
綿津見神は高良神
(「儺の國の星」12、槖吾星より 引用)
”ななつのほし”は素直に”わたつみのほし”になりました。...
”わたつみのほし”を略したものか安曇(安積)星の名がありました。”あへのかたのよみのほし”即ち北位を看取る星の意を舟人が短くまとめた名かとも考えられます。安住(あづみ)なる氏族は舟人として上古にしられた家系でありまして、北辰を氏神として祈ってきました
これが祝詞の元であるという。
わたつみとは、海の意味であり、海の民が祀った神が綿津見神である。
七つ星である北斗七星が、わたつみの星であり、それが安曇に繋がる。
安曇氏は、志賀海神社を代々守ってきた社家である。
祭神、志賀神は又の名を安曇磯良神。
かの一族は、高良玉垂宮神秘書の「神部物部を秘すため名を変えた五氏」の一つになる。
またかの書には、高良神は志賀神とも同神ともある。
要するに元は同じ一族であった物部が、名を変えたのが安曇氏であり、彼らが祖神を「志賀神、安曇磯良神」として祀ったのだ。
彼は住吉神でもあった。
オリオンの三ツ星を意味し、星神、海神の性質を持つ。
海の民は今でも三ツ星と住吉さんと崇めている。
島は星と同義語。
故に、三島神が彼になる。
それが筑紫では高良神、大和では布留神。
同神であるが故であった。
祝詞が海の民の宣言が元ならば、同じ神に届ける言葉となるであろう。
ほとんどの神は二柱の天照に集約されるのだから。
(つづく )
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