神は子孫が祀り続けてきた。
二千年近くを絶え間なく、紡がれてきた祈り。
神がおられるところを、彼らは守ってきたのである。
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★目次
☆1 十種神宝
☆2 斗極と天の川と饒速日命
十種祓い
(「儺の國の星」5、夜見星より 引用)
大和山辺(やまのべ)丹波市の石上神宮に伝わる十種祓(とくさのはらい)に
一二三四 五六七八 九十 布留部 由良由良 布留部
(ひふみよ いむなや こと ふるへ ゆらゆら ふるへ)
とあり、倭人だけに残る類例のない数詞を詠んでいる。
(真鍋,1982,P21)
石上神宮がある天理市が、昔は丹波市(たんばいち)。
丹波氏は、「高良玉垂宮神秘書」に記されている
神部物部を秘す為に名を変えた五姓の一つ。
(詳細、以下の記事)
(「高良玉垂宮神秘書」より)
高良大菩薩の御記文にも、五姓を定ること、神部物部を秘せんがためなり
五姓とは、丹波氏、安曇氏、前田氏、草部氏、草賀部氏
安曇氏は、綿津見神=志賀島の志賀海神社の神ほか
(安曇野の神でもある)
丹波(丹後)には籠神社。
祭神は天火明=饒速日
豊姫=市杵島姫命=御炊屋姫
そして、石上神宮がある地も丹波市。
神は子孫が祀る。
祀られている石上である布留神、饒速日命。
それが籠神の天火明命。
彼らは「高良神」である物部の神を守る為に、名を変えたのだ。
やはり、高良神が饒速日命。
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大阪の日下は、昔は河内湖の入り江になり草香江といった。
饒速日命の伝承がある。
天鳥船から見下ろし「日の本(下)は」と言われたので、この国が日本となり、その地が日下となったと。
その付近には饒速日命山(草香山)や、すぐ南に石切劔箭神社がある。
*草賀部氏、あるいは草部氏が草香江に通じることは、Xのフォロワーさんに教えて頂いた。
ありがとうございます!
斗極と天の川と饒速日命
(「儺の國の星」5、夜見星より)
琉球で北を”にし”或いは”ぬち”と呼ぶ。十二方位で子丑(ねうし)或いは子路(ねぢ)即ち北方の略かと説かれる。
(中略)
斗極の座を四三星(しさうのほし)と尊崇したのである。韓語で三をし(si)、四を二(ni)、と教えたから、前述の”にし”は三四、即ち斗極の古語であった事実が判明する。
(中略)
四三(しそう)を”なたのほし”と呼ぶ。高麗語のnaisai(ないさい)の訛であるから、倭寇の流行語であったらしい。海中道(海の中道)、即ち筑前糟屋奈多ノ浜は、伯耆西伯(ほうきにしはく)弓ヶ浜と同じく斗極の絵の形の砂州であるが、この中ほどに塩谷なる隘路(あいろ)があった。内海と外海の潮が交互に出入りするところであった。
(真鍋,1982,P21-22)
斗極とは、北斗星と北極星のこと。
いずれも北にある。
北を「にし」と言ったから、四三星(しそうのほし)は斗極のこと。
二冊目、拾遺にこのような記述がある。
銀河を"うましのみち"と言う。
子午線に沿ってほぼ南北に流れるからである。
神に仕える女人を"うましをとめ"と言う。
古人は星を石と書いたから、石女(うましをとめ)は
銀河の別名であった。
(「儺の國の星」拾遺より)
子午線とは、子(北)から午(南)を結ぶ線。
銀河、天の川を「うましおとめ」と言った。
石は星と同義語であり、神に仕える「うましおとめ」とは石女であり、銀河、天の川のこと。
饒速日命の御子は宇摩志麻治(うまじまじ)という。
その名は天の川、うましのみちの意味ではないだろうか。
彼は石上神宮の神。
その石は、星の意味では。
彼は高良神であり、磯良神。
那珂川では、天の川をいそのかわと呼んだとも、かの書にあり、磯、石は星であり、天を意味していたと思われる。
彼は天の神であったのだ。
(つづく )
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