物部、蘇我氏、紀氏、平群氏などは祖神が同じであった。

彼は、筑後国一之宮の高良大社の高良神であり、北部九州の神。

 

では、子孫も元々は北部九州におり、大和へと拠点を移したと考えられる。

 

政治の舞台を移したのだ。

神話の「神武天皇の東遷」はそれを意味してるのではないだろうか。

 

では、天照の交代の要因はそこにもあるかもしれない。

 

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★目次

☆1 磐井の乱

☆2 磐井氏と高良玉垂宮神秘書

 

  磐井の乱

 

物部、蘇我などは、高良神の子孫。

彼らの時代の前、北部九州では重要なことがあった。

磐井の乱である。

 

磐井氏は高良山に拠点を置いていたともいう。

もしかすると磐井氏も高良神を祖神とする一族であったかもしれない。

 

 

☆磐井の乱

 

527年 朝鮮半島に出兵しようとしていた朝廷軍を磐井が阻む。

翌年、反乱を起こしたとして、大和朝廷の大将軍の物部 鹿火が派遣され交戦する。

磐井郡は敗北。

 

もしも国造の制度が7世紀前半ならば、磐井氏は地方豪族であり反乱ではない。

 

磐井氏は三井に拠点を置いたとされる。

三井と言えば、高良大社がすぐ側にある。

 

居城を置くならば、見通しが良く攻めにくい山の上になる。

彼は高良山にいたと考えられる。

 

高良大社

 

  磐井氏と高良玉垂宮神秘書

 

磐井氏と高良神と磐井氏を暗示するものがあった。

「高良玉垂宮神秘書」である。

 

皇宮(神功皇后)が亡くなった後、高良神は方々を巡る。

その中に「人形原」があり、石人山古墳のことになる。

 

高良神が「人形(ひとかた)を」と言われたので、この地は「人形」となった。
(「高良玉垂宮神秘書」より訳)

 

 

その項の「高良神の巡行」は、高良神と神功皇后の伝承地を示唆しており、その一カ所だけ彼らに関わるものがなかった。

 

だが、神秘書には一つも無駄なことは記載されていない。

何かを暗示するものではと考えていた。

 

 

  石山古墳

 

「神秘書」に記載がある「人形」=石人山古墳は、磐井氏の祖父の墓とされている。

造営が5世紀前半。

 

彼らは祇園山古墳の造営時期からおそらく3世紀前後だとみているので、まだ石人山古墳は出来ていない。

 

 

ならば、高良神との関係性を示唆するものである可能性が大きい。

子孫であったとしても不思議ではない。


関係のない記述は「神秘書」には記されていないのだ。


 

北部九州の神である高良神の子孫の可能性がある磐井氏の敗北。

その地の「彼の子孫」は、大和に負けてしまった。

 

政治の拠点は、北部九州から大和へと移っている。

この一件も、天照の交代の要因の一つではないのか。

 

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明けましておめでとうございます。

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( つづく )

 

 

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