あり得ない妊娠期間。
常識があれば気づくだろう。
彼女は身ごもってはいない。
製作者の意図したものだ。
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★目次
☆1 約451日の神功皇后の妊娠期間
☆2 その理由
☆3 まとめ
約451日の神功皇后の妊娠期間
時に、たまたま皇后の産み月に当たった。
「日本書紀」にはそのようにある。
三韓征伐の時彼女は臨月だったらしい。
それを石を腰に挟み、遅らせた。
人の妊娠期間は、280日ほどとされている。
彼女のそれは、どれだけなのか。
日付のある「日本書紀」での神功皇后は、香椎宮での神がかりで、神から身ごもっていることを告げられる。
香椎宮の日付から、誕生までの期間は
8年9月5日~9年12月14日。
これは太陰暦。
一年が354日、一か月約29.5日なので、
354日と29.5日×3か月+9日で、約451日
451−280で、171日も超えている。
ということは、今の太陽暦で言うと5.7ヶ月。
神がかりの前に受胎してるはずなので、それより長いはず。
おおよそ、通常よりも半年長いということになる。
伝承の「石で遅らせた」というおとぎ話が肯定できる範囲の長さではない。
この話には無理がある。
そもそも
一年経った9月10日以降(大己貴神社の出来事の月)に、
たまたま皇后の産み月に当たったとの表記。
この時点で、すでに一年、太陰暦で354日以上経っている。
その理由
通常より半年長い。
誰が見ても異常だと思える期間は、意図的なものになる。
仲哀天皇の子ではない。
常識があれば直ぐに気づくだろう。
日本書紀の製作者達が、意図したものだ。
では、それをわざわざ記す理由は何なのか。
もしも彼の子としたかったのであれば、通常の日数にすればよい。
そうしたくは無かったのだ。
そうする必要も無かった。
では二つの理由が考えられる。
☆仲哀天皇の子では無い。
☆彼の存在自体無い。
あり得ないことを示す伝承は、遠巻きに事実を示唆している。
彼女は妊娠していなかった。
また、意図したものであり、仲哀天皇が存在したのであれば、これ程失礼なことは無い。
彼は元々いなかった。
そう考えている。
☆筑紫の神功皇后
福岡の伝承でも、若杉山では臨月で登った設定にしていた。
身重での山行は不可能。
浮嶽も砂地で酷い急登りで、しりもち必須。
一度でも登ると分かる。
あの宝満山にも登ってるのだ。
今までの考察から、特に「日本書紀」は、暗喩などで神の正体や事実を表していたことが分かった。
その視点で見ると神話は解かれ、事実が明かされる。
一見、おとぎ話、でたらめのような話も、彼らにたどり着く暗号であることが分かる。
すべて意図的なもの。
まとめ
あり得ない妊娠期間を記し、「神話自体」に疑問を持った者だけがたどり着ける真実。
彼女は仲哀天皇の子を宿していなかった。
わざわざ詳細に記した不自然な日数は、意図的なものになる。
では彼の存在自体、不確かなものとなる。
否、そう思えるような記述をあえてしているのだ。
その実、彼女は高良神の后であり、彼の正体は饒速日命。
二人は大和で出会い、筑紫へと共に移動してきている。
「仲哀天皇」が入り込む隙間は無い。
それは今までの「日本の真意」で繰り返し、明かしてきた。
「神話の真意」初めから。
彼の崩御には、いくつもの異なった状況がある。
( つづく )
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小分けなので分かりやすいかもです
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