(ココログの2018年12月18日 の記事)
那珂川市の日吉神社の裏山にあたる成竹山。
そこには、もう一つお社がある。
小さい神社ですが、神の足跡が示されている。
夏の豪雨の時に山が少し崩れて、手水舎が傾いていた。
(ご由緒より)
大原山神社は、鳥取県 大山の中腹に位置する、大神山神社より御魂分けされて2000年十月に創建されました。
かねてより「大山へ来い」という神の声を耳にしていた創始者が、生死をさまよう夢の中で見た、青銅の鳥居を手がかりに、快気後、大神山神社をたずね、それが縁となって、数年後、この地に分け御魂を頂くこととなりました。
主祭神 大己貴大神様は多くの別名をお持ちで、中でも古代出雲地方を広く治めた、大国主命様(大国様)として知られています。
御神徳は、全ての縁結び。すなわち人と人、土地や仕事との縁、産業産物にいたるまで、広くその縁を結び、また商売繁盛、家内安全などにも及ぶ力をお持ちです。
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ごく最近、建てられたお社。
「大山へ来い」
との声を聞いてた創始者。
生死を彷徨う中、青銅の鳥居を夢で見た。
快気後、探し当てたのが鳥取の「大神山神社」。
ご神託があって、それが縁で勘請されたとのこと。
大己貴命は大国主神。
大黒様と習合されている。
大己貴神は大物主神。
奈良の大神神社の神、饒速日命。
ここは日吉の森、成竹山。
麓には日吉神社があった。
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那珂川市の日吉神社のご祭神は、「猿田彦命で」。
最澄さんが日吉の神を比叡山へ勘請して、日吉・日枝大社を創建し、ご祭神の一柱とした。
日吉・日枝大社の二つの本宮に祀られている神(もう一柱は大神神社の大己貴神)は同神とあり、二柱は同じ。
*大己貴神、大山咋神(猿田彦神)
しかし日吉神社の、神社庁に記載されている御祭神の中に猿田彦神の名はない。
そこにあったのは、「大己貴神」。
天御中主神、大己貴神、日子穂穂出見神。
他に、大山祇命、八雷神、菅原神、迦具土神、田心姫神、高淤加美神、闇淤加美神、手力雄神、宇賀魂神、表筒男神、中筒男神、底筒男神、須佐之命、天照大神
日吉神社に祀られる神は、すべて同じということになる。
それが御祭神に名が無いのにも関わらず、土地の人が猿田彦神として祀っている理由なのだ。
では、「鳥取の大神山神社」と「大原山神社がある成竹山の日吉神社」の神は同じ「大己貴神」であり、ここへ里帰りをしたことになる。
大元の日吉神社の森である成竹山。
「大己貴神」がご神託により、こちらを請われたのは、それを証明するもの。
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下の写真は社の猿像に強い神気を感じ、
「神威をみせて」
と無意識で呟いた後、撮った一枚。
これは、神威。
天狗や天使にも見えるというその姿。
日吉の神が猿田彦の神であるなら、そうなのかもしれない。
神はここにおられるのだ。
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大国主(大己貴神、大物主神)の神は、饒速日命。
那珂川には現人神社がある。
こちらも住吉の元宮。
住吉神が饒速日神ならば、すべては、この地に彼らが在ったことの証だ。
それから1年後、鳥取の大神山神社へ。
( つづく )
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