前回の続き

 

 

 

若杉山から宝満山へ。

歩きながら感じたことがあった。

 

二つの山の神は同じだ。

山を繋ぐことは、神を繋ぐことだ。

 

 

いつからか人は山に祈りを捧げた。
祈りはやがて神を生み出す。
 
人が山を繋ぐのは、祈りを繋ぎ、神を繋ぐことになるのだろう。
 
今でも人は山に惹かれる。
山を駆け巡り、祈りを繋ぐ。
ひいてはそれが神を繋ぐことになる。
 
そうして、この街の守りは彼らが願った以上に強い。

 

 

北の若杉山は、月(陰)。

南の宝満山は、日(陽)。

  

その二つのお山は陰と陽の関係にある。

 

 

そう思いながら、駐車場があるスタート地点の太祖宮の下宮に戻った。

 


 

無事に縦走できたことの報告と感謝を伝え・・・。

ふと縁起書を見た。

 


 

イザナギ神、天照皇大神、志賀大神、住吉大神
八幡大神、聖母大神、宝満大神

上宮にもある。


                  

前に来た時は分からなかった。
(この記事はココログの18/05/23)


聖母大神(神功皇后)と一緒に、宝満大神が祀られている。

宝満宮竈門神社の御祭神は、神功皇后と玉依姫。


この辺り一帯には、玉依姫の子とされる神武天皇の伝承さえない。                  

彼女は「神武天皇の母」なのではない。
その名は称号であり、神功皇后を表す。
                
    

若杉山と宝満山。

博多の街の北と南。

その関係は、まさに月と日。

互いに手を取り、そっとこの土地を照らしてる。
祈りの力で守り続けている。 

   

ちょうどこんな感じ。   
(wikiの太極) 

                  

(陰陽勾玉巴)

    

若杉山の綾杉は、神功皇后が香椎宮の綾杉と「分け」たものだという。
香椎宮のそれは、彼女が「永遠にこの地を守る」と誓い植えられたものだそう。

 

若杉山の太祖宮の宝満大神が「彼女」であるからこそ、宝満山に現れたという玉依姫が「この山を永遠に守っている」と告げたのは必然だ。 

 

 

若杉山と宝満山は霊山。

宝満山には国の大事の時、神事があったと言われ、かつていくつもの修験道の宿坊があった。  

 

 (若杉山奥の院*弘法大師様)

若杉山には弘法大師空海さんの庵があったと伝えられる。

唐から帰った折り、若杉にかかる雲を見て、霊山だと感じられた。

奥の院には空海さんの像があらはる。

 

 
お大師様が感じられたのは、彼らではないか。
(彼らの伝承地には必ずと言っていいほど訪れている)
 

如意輪観音像

 

若杉山は西の高野とも言われ、ここを中心に寺が点在している。
篠栗四国八十八カ所霊場巡りも盛んで、信仰が厚い。
 

 
祈りが神の力を増すから、ここも宝満山も、神の気に満たされていた。
毎日、山をこよなく愛する人たちが登って、上宮を参拝している。
 
九州で一番登山者が多い宝満山。
その誰もが神に祈りを捧げている。
 
この二つのお山が今でも霊山であるのは、彼ら祈りの力によるものなのだ。
 
 
 
前回の記事にコメントをくださった天澤さんにレスして気づいた。

山に登って、大地と空を俯瞰したら、この星の素晴らしさを感じる。
この美しい星が好きで好きでたまらない。
神はきっとここから全てを眺めるのが好きなんだと。
そこに大変な思いをして登ってくる人たちも、こういう気持ちを共有してるんだと思うと愛おしくてたまらない。
多分、山の上にいる神もそう感じてる。
だから、神は山の上におられるのかもしれない。
 
★日と月 ~宝満山と若杉山~(ココログ 18/05/23の記事 改訂)
 
 
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