一度、奈良から離れて、佐賀の天山へ。

「櫛玉比女命神社」にも深く関わりがあった。

ここは「弁天池」の元になる。

★前回の記事


 

  佐賀の弁天様

 

佐賀には天山(天山神社)があり、弁財天が祀られている。

弁財天の元宮になる。

(前回の櫛玉比女命神社は、天河弁財天からの勧請)

 

なぜならここに「弁天様」の初めがあるからだ。

 

つまり、佐賀の天山→伊勢→天河弁財天→(奈良の)櫛玉比女命神社。
 

標高1046m。
山頂には、こんな石碑がある。

 

 

裏には「天山」の文字。

840m程の場所に上宮の駐車場があるので、山頂までそんなに距離はない。
しかし、ガレ場が続く場所があり、登山の恰好をしないと難しい。

 

上宮の社は、山頂ではない。

駐車場からほどなく上がった場所。


 

最初に見えてくるのは、石造りの小さめの鳥居。

 

 

 

 

ここが天山神社の上宮。

 

 
 

 

 

 

 

社の隣には玉を持った竜。
弁財天は、別名を八大竜王、八竜権現ともいい、水の守り神でもある。
 

 

弁天さまの石像もあった。
こんな素朴な像が、たまらなく大好き。

 

 

  弁天池の初め

 

弁天様の社のほとんどにあるように、この社の周りは小さな池になっている。
池の中に島を(わざわざ)築き、社を建てる」これが弁天池(自分の造語)。


この次にUPする下宮一つ「晴気天山社」に、こちらのことが書かれてあった。

 

そこから、天山が弁天池の起源であることが分かった。

 

 

 

 
天山池の中に島を築き蓬莱島と名づけ、宮床に石祠を設け天山神の上宮と定め
(上記 晴気天山社の御由緒書きより)
 
ここにある、池に島を築き、蓬莱島と名づけて上宮を設ける

 
この地は、古来、蓬莱島と言われていた。
徐福さんが求めた蓬莱島はこの一帯であり、山は金立山。(徐福さんの真偽は不明)
 

 

金立山は、下の地図の天山(中央左)の文字の「山」の辺り。

天山は、そこからさらに西。

 

(地図はGoogl map)
 
蓬莱島とは、上の「建日向豊久士比泥別」一帯のこと。

天山池の蓬莱島の中にある上宮。
 
彼らは脊振山に祀られる神。
天山上宮の神は、脊振山の神だと示唆するものだ。
 
(地図はYAMAP)
 
蓬莱島の中の脊振の神。
この図を表す見立て。
 
 
何故、弁天様である市杵島姫命を祀る神社の多くが、「弁天池」の形を成しているのか。
その答えにもなる。
 
「弁天池の形」は、神の由緒を表していた。
 

(奈良 大神神社の摂社
狭井神社の市杵島姫命神社)
 

一番分かりやすい、奈良の狭井神社の市杵島姫命神社の弁天池。

 

これは、「蓬莱島におられる神」を示している。
 
それは「蓬莱島」がこの地であることの証。
*この「元宮」は、「神の由緒」を表す。

 

 
神は山の上に住み給う。
 

 

「花の天山」と、地元の山人の方々が呼んでいるほど、花がとても多い奇跡のお山。


「天山神社」は、この上宮の他に、

麓に下宮が三社。
中腹に中宮。
 

中宮は、山の中腹にあり、行くのになかなか困難な場所にあるそう。
 

次に、麓の三社をUPします。

 


 ( つづく )

 

 

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