伊野天照皇大神宮に「神の鉾」があった。

それは、高良神も所有するもの。

では、高良神とは?

★前回の記事

 

筑後国一之宮の高良大社には、「高良玉垂宮神秘書」が伝わる。

 

(高良大社)

 

高良神とは、「神秘書」から探って行こう。

(神秘書は漢字、カタカナの書き下し文になっている。

分かりにくい箇所は同義の言葉にしている。)

以下、青文字は「高良玉垂宮神秘書」p142 解読 要点記載。

 

彦波瀲鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけ うがやふきあえずのみこと)は住吉大明神、明星天子の垂迹。

この御子に住吉の五柱。

 

二柱の女神

表津少童命、中津少童命。

 

嫡男 表筒男尊 日神の垂迹 玄孫大臣物部大連(これより大祝の家始まる)

次男 中筒男尊 神武天皇のこと。守屋の大臣は神武天皇の変化なり。ここをもって大神の御兄弟と申すなり。

三男 底筒男尊 月神の垂迹 高良大神

 

次男、中筒男尊は、この土に留まりて、神武天皇と現れ、皇代を初たまうなり。

 

(他の三柱は)

天神にまします間、兜率天に住み、三光と現れ国土を照らしたまうなり。


この中で気になった名があった。
次男、中筒男尊は「神武天皇」。

 

*この国に留まって、神武天皇と現れ皇代の初めとなる

*守屋の大臣は神武天皇の変化なり

 ここをもって大神御兄弟とは申すなり

 

他の住吉神と出現した後、この後の記載は一度もない。

「大神御兄弟」

 

神武天皇は住吉三神の一柱だという。

しかし、神話の神は全て「彼ら」であった。

親兄弟など全て同神となる。

 

ならば、神武天皇と高良神が同神、同時代であることを示唆しているのでは。

 

 

彼らが出現した時の様子が記される。
 

ここに皇代十五代神功皇后の時、イルヰ日本に渡る。

その時、筑前国四皇寺の峯に登り、虚空を祈りたまう。

東の空に白雲現れ来たる。

白雲たちまちに四方に開き、光を放ちたまえば、月神現れたまうなり。

白雲四方に開きたるは、四天皇なり。

四つ桙は、その中に打ち違えて見えたり。

この白雲に乗りたまい、けして、若冠と現れ、四皇寺下りたまう。

これによって、その所を四皇寺の峯とは申すなり。

                                                 .

 

高良の神は白雲に乗り、若者の姿となって四王寺に降り立った。

四皇寺とは、今の四王寺山。

太宰府市、大野城、粕屋郡にまたがる四つの峰を持つ標高400m程の山である。

 

彼らは神功皇后の祈りにより、出現した神。

彼の伝承に彼女は外せない。

 

住吉の明神はのたまわく、我この三男月神の垂迹底筒男尊は、応作天大将軍の再誕、天上の大力士なり。

大将軍にするとよいとありければ、住吉 高良両大将軍と定めたまう。

皇后曰く、日神垂迹表筒男尊、両副将軍と定めたまいて、三韓を攻め従えたまう。

 

ほともなし、その後、住吉の明神は、皇后に御いとま申す。

また、虚空に住みし給うなり。

 

三男の月神、底筒男命は高良大将軍となる。

長男の日神、表筒男神は住吉大明神となる。

神功皇后は、彼らを両副将軍と定めた。

ということであろうと思われる。

 

住吉大明神(父)は虚空へ戻った。

 

さて、最初の月神が現れた時の「四方に開き光をはなつ」様子を表したものが、高良大社の神紋である。

 

                         .
では「鉾」という記述は、神紋の由緒の一つとなる。

前回より。
鉾は、国平の象徴であり、武御雷神を通して天照に渡ったものであった。

さて、その「鉾」は、誰の鉾?

                           
 
(つづく)
 

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