伊野天照皇大神宮に鉾があった。
そこから、神に繋がっていく。
★前回の記事
その社に訪れた時、酷く違和感があったのだ。
女神に鉾は相応しくない。
そんな時だった。
神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って持って帰ったという記述があります。
それを友人のブログで見た時、天啓のようなものがあった。
これは、「あの鉾だ」と。
「息長氏の足跡~支配圏(さほさんのブログ)」より引用
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崇神天皇の時、国平大神(大国主)と建御雷男命は
同殿同床では畏れ多いので分けるようにと言われています。
大国主を楯之御前社、建御雷を御前社とし、神殿を作ります。
(中略)
ところで、この楯之御前社は楯原神宮と呼ばれるようになり、
場所を移して、現在は楯原神社として存在していることとなります。
途中、神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、国平の鉾は「倭」に遷すと言って
持って帰ったという記述があります。
代わりに楯原神宮には、松を植え、鉾を突き刺して繁栄を祈ったと・・・
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*楯原神社は、大阪府にある。
*品陀和氣命(ほんだわけみこと)は、神功皇后の御子、応神天皇のこと。
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「国を平にした鉾」とは日本書紀の中にあった。
大国主神がそれで国を平定したという。
国譲りの時に、直接それを迫った武御雷神に鉾を譲っている。
「従わぬ者がいたら、この矛を使え。国が平らになるだろう」と。
鉾は国を平らにした象徴であろう。
それを武御雷神に譲る。
権利の譲渡となろう。
まさに国を譲る権利を武御雷神、その向こうにいる天照に譲ったことになる。
言い換えれば、
大国主神から、武御雷神、そして天照の元へ渡った「国を治める権利」。
それを象徴しているものが、鉾なのだ。
では、天照神が「鉾(国の権利)」を手にしていることになる。
それは、元々は大国主神の元にあったものだ。
伊野の天照皇大神宮には女神の天照が祀られている。
単に、「国を譲られたもの」としての象徴なのだろうか。
前回、伊野の天照皇大神宮で、天照は「撞賢木厳御霊天疎向津姫命(つきさかき いつのみたま あまさかるむかつひめ)」ではないと感じた違和感。
もしかすると、同じアイテムは同じ神を示唆するものではないか?
大国主神は、三輪山の神である大物主神と同神。
三輪の大物主神は、饒速日命。
鉾は、彼を表しているのでは?
*
神功皇后にとっての「天照神」は、饒速日命ではないのか。
この頃、漫然と感じていた。
そういえば・・・と、そこで思い出したことがあった。
筑紫にある独特の伝承。
筑後国一之宮「高良大社」に伝わる「高良玉垂宮神秘書」の記述を。
(つづく)
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今更ながら始めました。
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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