別ブログのココログ(2017年11月4日の記事)*後に改訂


神功皇后は、別の名を息長垂姫(おきながたらしひめ)。

垂の字は、高良玉垂命と対になる名です。

高良神は饒速日命であり、彼女は御炊屋姫。

 

では、息長の名も何か意味があるのかもしれません。


その名から、ナガスネヒコに繋がりました。


                    *

 

< 神話での息長 >


神話では、息長(おきなが)氏を名乗ったのは、応神天皇の皇子、意富富杼王。
応神天皇の母が、神功皇后の息長足(帯)姫。

彼女の父は開化天皇の玄孫の息長宿禰王、母が天日矛の裔の葛城高額媛。


では、記録にある「息長」という名が初めにつくのは、神功皇后の父親ということです。
「息長」は、受け継がれてきた名のようです。


父 息長宿禰王         母 葛城高額媛

(開化天皇の玄孫) (天日矛の裔)

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      神功皇后(息長足(垂)姫)       

      
しかし、これは神話上での話。

開化天皇、天日矛は、饒速日命であることが後に分かります。

 

開化天皇は高良の神であり、饒速日命。

天日矛はツヌガアラシト神であり、牛頭天王であるスサノオ命です。

スサノオ命さえ、饒速日命。

 

つまり、彼女の親類すべて創作(名を替えた彼)であり、彼に繋がりました。

また、彼女は彼の后であった御炊屋姫です。

 

神の名は、対になることがあります。

櫛玉彦と櫛玉姫。

豊玉彦と豊玉姫など。

 

では、おきながの名前自体、彼を意味するものなのでは?

 

                     *


< おきなが >
 

では、息長とは何を意味するのか。

 

「おき」と聞いて思い浮かべたのは「玉置山」。
(読みは、たまき。「たまおき」から、たまきになったと思われます)

 

玉置山は、「饒速日命」がもたらした「十宝神宝」を祀った(置いた)とされる奈良にある山。
 

「おきなが」は、「置く」、「な」、「が」なのでは?

 

言霊の「な」は、 「成す、為す」。
儺国のなであり、奈良のな。リンク→(「儺の国と奈良」)
完全な、神がかり的という意味を表す。
(「なら」は、成す、完全な(神)と「ラ」光、神で、「神の光、神の国」の意味)

 


では、「が」の「神」を「置く」。


「が」は「賀」を意味するのか?
   
そこで、さほさん(前世の仲間の一人)が「賀」は、「スサノオ」を意味していると教えてくれました。

(須賀神社がそうです)

ならば、「スサノオの神を置く」。

名につけるということは、「置く」は、魂を受け継ぐ、継承を意味する。
 

彼は饒速日命であるので、饒速日命の魂を受け継ぐ。

 

彼は十種神宝を所有していました。

彼の魂を受け継ぐということは、それを受け継ぐことにもなる。

 

では、おきなが姓は、饒速日自身を意味し、十種神宝を受け継ぐという意味になります。

 

神功皇后が息長垂(足)姫であり、対の名を意味するのならば、

垂は高良玉垂命の垂。

おきながも、饒速日命を意味する名。

ということになります。

 

では、饒速日命も「おきなが」であったのかもしれません。

 

 

< 「儺の国の星」のおきたま >

「儺の国の星」に”おきたま”について書かれてありました。
”たまおき”も同じ意味だと思います。

”おきたま”とは、月日を置き並べる暦作りの意であった。
”た”は月で Thala(ターラ)なる古代地中海語の略である。
”ま”は胡語の Mutso(ムツオ)、Mutesa(ムテサ)、Massa(マサ)なる
日神或は Maruh(マル)なる星神の略と思われる。


日の神であり月の神であり、星の神、布留(フル)である饒速日命。
玉置神社の”たま”とは、十種神宝の”たま”であり、日月の神である彼そのものを表すのかもしれません。

では、玉置も、十種神宝(=饒速日命)を置く=祀るという意味にもなります。


また日嗣(ひつぎ)の御子の「日嗣」とは、暦を表し継ぐことを表すそうです。
 (「儺の国の星」より)

                              


< ナガ >
 

また、仏教の聖典では、「ナガ」族とは「龍王族」のことです。
 (「長い」の語源は、ここにあるのかもしれません。)
 (*注釈 仏教が日本に入った時に言葉が入ったということではないです)   

田んぼの神でもある「水蛇」でもある。
蛇神と言えば、三輪の神。
蛇は龍と同義。
前にブログに書いたことがあります。
(別サイト開きます)

 

三輪の神は、ニギハヤヒです 。

また、ナーガは、古代の共通語でした。
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熊本のパワースポットとして有名な巨石がある「押戸石(おしといし)の丘」
この巨石にはペトログラフが刻まれていて、その一つが「ナーガ」。
蛇神を表します。

*「押戸石の丘」ホームページ
http://oshitoishi.com

ペトログラフはシュメール文明との関係も示唆しています。
「ナーガ」の言葉が蛇神であることは、すでに知られていたことなのでしょう。
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おきなが姓は、龍族を身に置く。

龍王族の長、のような意味でもあるのでしょうか。


では、スサノオ命を意味する「賀」は、元々「龍王族」を意味するものだったのかもしれません。



< ナガスネヒコ の 名の意味 >
         .

「ナガ」のつく名でもう一つ。

その「饒速日命」の正妻、御炊屋姫の兄の名は「ナガスネヒコ」と言われています。

この「ナガ」も「龍王族」を意味するのかも。

「ス」は言霊の「中心」という意味なのかな。

「ネ」は、「根」だそうで、
前に神社で聞こえたことがあったのですが、「神や貴人のつく名称」です。

 

では、龍王族の中心の神という意味になります。

 


するとさほさんが、「す」はそれこそ、「須賀」の「須」なのでは?と。
「須賀」、スサノオを表し、須賀神社のご祭神は彼が祭られています。
(スサノオ=饒速日命)

「ヒコ」は「身分の高い者の尊称」。              .

「ナガスネヒコ」

その名が「龍王族」の「須(須賀)」の「根」であるならば、
「饒速日命」そのものを表しているのでは?

「ナガ族」の「須」の「根」。
竜王族の中心の神。


それが「ナガスネヒコ」の意味ならば、饒速日命自身が「ナガスネヒコ」です。

                    *

 

御炊屋(ミカシヤ)姫だという前世の夢の時、彼女の兄「ナガスネヒコ」を見てないのです。
(年の離れた弟はいましたが)
たまたま、いる時の場面を見てないだけなのかも知れないのですが、
ヒプノの時も見ていませんし、気配もありませんでした。

もしも、「兄」をどうにかされていたのなら、「饒速日命」に対して負の感情が少なからずもあるはずですが、それも全く無いのです。

「ナガスネヒコ」というという存在自体、架空のものでは。
もしも、その名が「饒速日命」そのものを表すのならば、尚更です。

息長族、神功皇后、三輪の神。
そして、ナガスネヒコ。
このつながりは、偶然とは思えません。

 

 

*では、「息長(おきなが)」姓もナガスネヒコも、饒速日そのものを意味する名です。

 

 

 

「根(ネ)」を調べていて面白いことが分かりました。

宿禰の「ネ」も、「少根」と表記されることもあり、ウィキには


「オオネやスクネの語尾「ネ(称号)」は神別氏族の軍事的長の称号である」とあり、
また、「主に物部氏や蘇我氏の先祖に宿禰の称号が与えられた。
8世紀には
八色の姓で制定された、姓(カバネ)の一つとなった」
とあります。  (Wikipedia
「宿禰」
  
ここでも物部氏?
ニギハヤヒとミカシヤ姫は物部氏の先祖。
ナガスネヒコの「スネ」が「宿禰」の元なのでは?

 

 

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この回、改訂しました。

ココログでUPしていたのは2017年。

後に分かるのですが、神話の神はすべて彼ら二人に集約されます。

故に、神話、伝承は、同じ存在を何度も登場させていたのです。
ナガスネヒコが饒速日命ではないかという説、かなり有力だと私は思ってます。

神話では神功皇后の母の家系に連なるとされる、天日矛はツヌガアラシトであり、現人神社の神でもある住吉神でした。
 

父の家系にある開化天皇は、神功皇后と夫婦であり、住吉神と同一だとされている説もあります。

 

その住吉神は、筑後一ノ宮の高良大社の高良神であり、神功皇后と夫婦でした。

(高良玉垂宮神秘書より)

 


つまり伝承の「神功皇后」の夫は、

住吉神でもあり、高良神でもあり、(伝承での)開化天皇であり、ツヌガアラシトでもある。
彼らは、すべて同一人物、ということです。

では、神話の初めにある「住吉神」。
神功皇后と夫婦ならば、彼女も「神話の初め」に位置する存在であったのです。