ちょっと脱線。
前回の記事を書いて、気づいたことがあります。

 

地図で中央を流れる「那珂川」。

「儺の川」
ここは、「儺の国」。
 
「儺」には、鬼を払うという意味があります。
鬼がいない清浄な地、「神の国」。
 
魏志倭人伝の「奴の国」はこの地です。

 

 
「儺の国の星」の著者、真鍋大覚氏は、ここを「儺の国」とされています。
 
もちろん、古代には漢字はありません。
ですが、一つ一つの文字には「言霊」がありました。
同じ文字、言葉(発音)は、すべて同根であり、深いところで意味が繋がっている(同じ)のです。
 
例えば、「ひ」には、日、火、陽、霊、など、
照らすものという意味が浮かんできます。
 
(これは、それぞれが「感じる・受け取る」ものであり、だからこそ「言霊」は奥深く、面白い)
 
「な」の言霊。
成る、為す、那(豊かさや、美しいという意)、…そして、儺。
行き付く先、完全な…神がかり的…という言葉が浮かびます。

「な」国は、神の国なのです。

 
では、「奈良(な・ら)」は?

今の所、奈良の語源は、はっきりと分かっていません。
平らに「ならす」や、「楢」の木からとか(Wikipediaより)
 
では、言霊から、考えてみます。
「ら」には、光、神と言う言霊がありました。
 良(優れている)、螺(巻貝)、羅(薄い織物)など
 
   巻貝は、古代、権威の象徴として身につける物、霊力の現れとされた、螺鈿は光る貝で作る
   羅、薄い織物は、権威ある者が着る物、の意味があるのか?
 
ホツマツタエなどのヲシテ文字の「ラ」は、〇にYを逆さにした字。
〇は空、天を表します。
そこから、月日星の光が放たれる様子が「ラ」。
天の光を解き放つという意。
 
*(その反対の形、「タ」を表すのが、〇にY。
  天へと、月日星の光が集まり「タ」、助ける(足る)の意味になります。
 (参考文献、「言霊 ホツマ」 鳥井礼 著)
 
「な国」と「なら」は、同じ意味では無いのか?
 
天の光を解き放つ「神の国」、な国、なら。
 
 
*****
 
<磯良神>
 
良(ラ)が、付く名で、磯良があります。
安曇磯良神(アントンイソラ)。
 高良玉垂宮(高良大社)の神、高良神です。
彼は住吉であり、饒速日命。
 
良(ラ)には、もともと光、神の意味(この場合は尊称か)があるので、磯神。
 
彼、饒速日命を祀る、奈良の石上神宮はイソノカミでした。
 
また、伊勢は、もともと磯宮と呼ばれていました。
もちろん、祀られてる神の名は、磯神、イソノカミです。
 
「三輪と伊勢の神は同体」と歌った歌もありました。
(三輪の神は、饒速日命です。)
 
ならば、石上神宮のイソノカミと、伊勢の元名の「磯宮」は偶然ではあり得ません。

饒速日命は、天照神。
伊勢には、イソノカミが祀られてるのです。
石上(イソノカミ)、饒速日命。
 
磯良神とされる、高良神も饒速日命。

高良大社は物部の祖神を祀り、石上神宮も物部氏の祖神を祀っているのです。
(この辺り、記事で何度も繰り返してます)
 
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< ヤマト >
 
奈良の昔の名、「ヤマト」には、神の国の意味があります。
「な・ら」の言霊と同じ意味なのは偶然では無いでしょう。
 
では、
「な国」と「なら」
同義ならば、「な国」も「やまと」?
 
イヤは物事の著しいさま
マは、真
とは、整う
 
ちぢまって「やまと」
著しく真実によって整ったこと
(参考文献、「言霊 ホツマ」 鳥井礼 著)
 
「な」の言霊と、似ています。

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< 邪馬台国 >
 
魏志倭人伝の「邪馬台国」。
どこの国を指しているか分かりませんが、
「奴国の中のヤマト(またはそのもの)」だと思います。
 
な国、那珂川にいた、「彼ら」は、高良の地へと移動(または、その両方に)しました。
高良の地も「ヤマト」であり、「な国」。

彼らがいた場所が「なの国」だからです。
 
奈良も「ヤマト」であり、「な・ら」。
なぜなら、「彼ら」はその両方の国を行き来していたからです。
 
その二つの国が同じ名なのは、偶然ではないでしょう。
 
 
腑に落ちたと思った貴方。
実は、真実を知っているのかも。