前回の記事を書いた同じ日、kono87さんがARIONの詩篇をUPされていました。
(ココログでの前回。こちらではこのログ)
kono87さん(前世の仲間の一人)とは、同時に「受け取る・リンクする」ことがありました。
(私がこの記事を書いたことで、ここの神とkono87さんが繋がったことになります)
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*赤い月の形としての物語*
〔プロローグ〕
銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。
ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。
暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。
「見よ」と声がする。
叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。
人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。
その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。
(以下、略。次の記事で全文UPします) .
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<葦の夢?>
この詩篇は初めて見るものでした。
そして、唐突にあの夢が思い出されたのです。
私が小4くらいに見た夢・・・。
「富士山の夢」です。
(記事の下でリンクしてます)
<あの時の草は、「葦」だったのか>と。
祖母に手を引かれて
泳ぐようにかき分けていったあの金色の草原の正体。
そこにあった「富士山」・・・。
・・・もしも、あれが葦の原ならば、もっと後の夢で同じ物を見た気がする。
ようやく、思い当たりました。
「古代奈良の夢」の中に。
私の前世かもしれないという、その夢の中。
輝くお山の前に広がる、葦の原の風景。
そうだとすると、あれは富士山ではなく、三輪山。
奈良にいた頃、何度も見ていたはずなのに、
何故、分からなかったんだろう。
「そこ」にはその草原と大きな山以外、他に何もなかったから。
神々しさが、いつもの優しい穏やかな三輪山と、桁違いだったから。
それは、神そのものでした。
更に、書いたばかりの記事が、あることと結びつきました。
若杉山の頂上にある太祖宮の上宮で思ったのです。
「カササ」とはあの辺りではないのか、と。
<カササ>
今の筥崎宮は、昔「葦津ヶ浦」と呼ばれていました。
更に「カサ、カタ」は湾の入江の場所を差すのです。
「サ」は、葦。
湾の入り江(カサ)に、葦(サ)が生えた場所。
そこは「カササ」と呼ばれていたのでは。
.
その「カササ」は、後の「筥崎宮」。
神話の「真の道」の先、笠沙。
その元宮は、飯塚の嘉穂郡にある「大分八幡宮」です。
大分八幡宮は、神功皇后と深い関わりがある。
そして「八幡さま」は、「饒速日命」・・・。
あの夢の中の「富士山」が「三輪山」ならば・・・。
すべて繋がります。
(そこで感じたこと全てが繋がっている)
「三輪山」は、饒速日命のおわすところ。
祖母が見せた「富士山の夢」で見た山は、その「大分八幡宮」の場所。
この場所で「三輪山の神」と繋がったんだ。
では、あの夢の中で祖母が語りかけていたのは、
三輪山の神、饒速日命なのか・・・。
(↑アメブロの記事は「三輪山だ」と分かった後なので、題名を「三輪山」としてます)
*
ARIONの詩篇の中には、時々難解な詩があります。
未来を予言するものに多く、それは、人の想いを扇動するのを
避けるためだとも言われていました。
何通りもの解釈ができ、その時々により、必要な人に、必要なことを伝えるとも。
ARIONは、何を伝えたかったのか、今は知る術もありません。
ですが時を経てARIONは教えてくれたのかもしれません。
あの夢の中の「神の山」は、饒速日の神、そのものだと。
*
飯塚の大分宮(神社)の側には、「金毘羅山」がありました。
「金毘羅」さんと言えば、香川の金毘羅宮。
ご祭神は、「大物主神」
三輪山のご祭神と同じ、饒速日命。
大分八幡宮の側に金毘羅山があるのは、偶然ではないのかも知れません。
八幡さま(応神天皇)が、饒速日命の生まれ変わりならば。
(この頃はそう思ってました。でも違ったのです。後に。)
大分八幡宮に参拝した後、できるだけ山の側まで行ってみました。
手前には田んぼ。
そのあぜ道には茅の葉が揺れて・・・。
その瞬間、あの日の夢が目の前に広がりました。
風にそよぐ、金色の草原。
神々しい光を纏い、紫に染まる山。
その夢へと導いたのは、この気配。
ここだ。
ここが祖母が、夢の中で連れていってくれた場所。
そこで神に逢った。
あの日見たのは三輪山か。
(この場所で、三輪山を見た。繋がった)
遠い記憶に重なる。
あの前世の夢の中で見た山。
幼い頃、奈良で何度も見上げた山。
確かにあれは、三輪山だった。
本当に、夢の中で見た木の塀の向こう側(の方向、南)にあるなんて。
強い霊能力を持っていたという祖母。
夢で繋いでいくというその力。
あの「祖母の夢」が特別なもの、”場”であった。
それが、きっと、この場所なんだろう。
あの日の神の山が、この金毘羅山が繋いだ三輪山ならば、
私がここに来ることが一つのゴールなのではないか。
ここに来ることで、何か分かるのではないか。
あの日の祖母の言葉が聞きたい。
祖母は、神の山に何を言っていたのか。
ここに来れば、何か分かるかもしれない。
「この子が・・・」
何を言ってたの?
私が何だというの?
私は誰?
卑弥果なの?
あの人は竜厘なの?
あの(前世の)夢は、本当なの?
そうならば、何をなせというの?
あの日の山が三輪山なら、あの神は饒速日なの?
< 今はまだ・・・。 >
そう聞こえた「神」の言葉の先を知りたい。
泣きたくなる程、夢の山に問うても、答えは無く。
神社などで声が聞こえるのは、いつもではないのです。
例え聞こえなくとも、自分の中に確かに届いている。
そう思うことにしていのですが・・・。
期待し過ぎていたのでちょっと寂しい気分でした。
「確かにこの場所だ」と分かっただけでも、よしとしよう。
そう思うことにして、次の場所へ向かいました。
*
その夜、友人kono87さんに
<金毘羅山は、あの日夢の中で見た三輪山だった>
とだけ、ラインで伝えると、
<11時頃、声が聞こえた。「私が側にいるのに」と>
午前11時。
ちょうど金毘羅山を見ていた時間・・・。
彼は、以前ニギハヤヒ神に<お前が竜厘だ>と告げられていました。
竜厘、それはニギハヤヒ命が人だった時の名の一つ。
何度転生しても受け継ぐという名前。
*
本当のことが知りたい。
多分、それは私の中にある。
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*前に同じような内容の記事をUPしたので、いいかなと思ってましたが、「瑠蘭」がコメントをくれたきっかけになってたのと、
次の記事に関わるのでUPしました。
もう一つ、追記。(後に分かるのですが)
神話の時代(2000年前程)は、今の標高で5mほどの位置に海岸線がありました。
カササの場所(筥崎宮)は海の底。
葦の原(カササ)の景色は、後の光景、名づけと思われます。
つまり、「神話」も後に作られた物語です。