日吉の神は、饒速日命。
「彼ら」は、この地に存在していた・・・。
ここから、他の神々へと繋がる。
< 大歳(おおとし)の神 >
饒速日命の別名に”大歳の神”がある。
新年に訪れるという、「年神さま」。
年の初めに赤子の姿で現れ、年末には翁の姿になり、
次の年の初めに赤子の姿で現れるとされる神。
稲穂の神様であり、それは稲の生長を表している。
猿田彦神もまた、稲穂の神であった。
この「サルタ」という言葉について。
以下の回でUP。
日吉神社の御由緒書きから分かったことだ。
< さるた >
那珂川市の「日吉神社」の由緒書きに、サルタは、古代の赤米の品種のこと。
その農法も”サルタ”と呼ばれていたとある。
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天照大神から授けられた斎庭(ゆにわ)の稲穂を育てるべき水田を開拓して待ち給うた神と語られます。
”さるた”とは今も対馬と種子島に僅かに保存されている稲穂の一品種なる赤米のことであります。
春に浅瀬の多い川を止めて湖を作り、これに苗を植え夏の日照り時に水を引いて秋の収穫まで干し上げる古式栽培のことでもありました。
(上記のリンク先に全文、掲載)
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アイヌ語や朝鮮語では、「サル」は、「葦原や湿原」のこと。
「サルタ」とは「葦原の田」または、「湿原の田」の意味。
日吉神社にあった由緒書きの「サルタ」と呼ばれる農法と、ぴったりと一致しています。
(詳しくは、その14のリンク先へ)
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猿田とは、「サルタ」という“音”に、猿というイメージが重なったもの。
そうして名を得た神は、信仰により、一柱の神として独り歩きし始める。
と、すれば、猿田彦神もやはり稲穂の神。
ましてや、この地に「日吉の元宮の一つ」があり、同じく、饒速日の命である住吉の元宮「現人神社」があるならば。
それは間違いない。
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だが、神話の禊の地、高天原かもしれないこの土地には、その「天照」を祀る神社がない。
それがずっと、気にかかっていたのだが・・・。 .
「猿田彦神」として、「日吉神社」に祀られていた。
祭神の中にもあった。
この地の至るところに、「猿田彦神」と刻まれた道祖神もあり、発祥の地とされている。
土地の人達に寄り添い、大切にされている大いなる遺産。
今も”生きて”、土地を守り続けているという神。
天照の痕跡は、こんなにもたくさん残されていた。
その本当の名を残すことなく。
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・・・それでも、決して消したくはなかった。
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どうにかして後世に伝わって欲しいと願う、人の想いを感じ取れる。
< 結びの山 > .
奈良の大和三山。
三島神社を頂点とした三四五の封印。
そして、筑紫三山。
その両方に、饒速日命が関わっていた。
これは偶然ではない。
もう一つの「偶然」。
筑紫三山が示す封印の先にある、脊振山がクシフル岳であり、
饒速日命である天照を表すものだととしたら・・・。
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その山の「前」に、「天岩戸」があった。
天照が閉じこもった「天岩戸」
天照が閉じこもっている(=隠されている)、「脊振山」の前にある「天岩戸」。
まるで、神話を具現してるかのよう。
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また、それらが繋がるからこそ、「クシフルタケ」や神話の地は、この地であるということだ。
( つづく )