続きです。
天岩戸は、福岡県那珂川市の戸板という山あいの地区の「山神社」にある。
*(旧・岩戸村戸板 *今は、那珂川市南面里(なめり))
この辺りは「地区名」がある。
ご祭神は大山祗命。
お社の後ろが岩戸。
幅15m、高さ6mほど。
磨崖仏が彫られています。
何度か写真で見たことはあったが・・・。
その前に立った時、あまりの眩しさに光に包まれたように感じた。
上には木が生えている。
本当に戸のように薄いと思われる。
こちらの岩戸には伝承があった。
奈良にある神社の”岩戸”と対になっている。
天照大神が籠った天岩戸の片方の戸がこちらに落ち、もう片方の戸が奈良に飛んだと。
筑前國風土記に、「大和國宮戸村片戸明神」とあった。
しかし、奈良の宮戸町は御所市にあるが、片戸明神は確認できなかった。
もしかしたら、神社や土地の名が変わっているのかもしれない。
岩戸の神
岩戸の神は天照だ。
岩戸が、「那珂川と奈良の宮戸村の片戸神社に飛んでった」とは、同神を示唆している。
天照は饒速日命、その后の御炊屋姫。
彼らはこの地の住吉神社に祀られる「祓いの神」、住吉神と神功皇后。
筑紫に来る前は、大和にいた。
両方の神なのだ。
岩戸が示すもの
下の図の赤い印をつけた場所が「天岩戸」。
(地図はグーグルマップより)
奈良の旅の記事(「旅の意味 その2~三四五の封印~」)で触れたが、三角を線で中央で結んだ形が「ヤマト(矢の的)」の名の由来の一つ。
その”矢”の初め、起こりとなる場所に「岩戸」はあった。
その”矢”の初め、起こりとなる場所に「岩戸」はあった。
( つづく )