気比神宮でこんなことがあった。
泣きながら社に向かって、
側にあったおみくじを引いた。
真摯に心の中で唱えると、その時に必要な言葉を授けてくれる。
四辻に立って、耳に入ってきた人の言葉を「占い」の結果とする、「辻占」。
「心に唱えながら」開いた本のページの目に付いた言葉でも同じ。
「御籤」も「辻占」も、こちらの気持ち次第で、神の言葉になる。
私の母方は「辻」という姓で、代々「辻占」と、まじないで病を治してたという。
泣きながらおみくじを引いた。
もう何もかもやめる。
前世にはもう関わらない。
ブログもやめてしまおう。
それでもいいか。
そう思いながら引いた。
< 凶 >
・・・久々に見た。
45年ぶりの2回目。
衝撃は大きかった。
さーっと血の気が引いた。
その時、ぱっと視えた映像があったから。
子供たちの死だ。
うちは社の前に立った時、
「自分も努力するので、道に進めますように」といつも祈ってる。
それと、
「旦那、子供たちは、無事で健やかにいられますように」と。
彼らが息災でなかったら何もできない。
その「彼ら」が浮かんだ。
これは義母が交通事故で亡くなる前に見た、あの時の感覚と同じだ。
現実になる。
(あの時は分からなかった)
・・・ もう交換条件になってるのか?
震える手で、手元のおみくじを結んだ。
(凶なのに、それほど悪いことは書かれてなかった)
・・・気を取り直して、もっかい引こう。
もう一回参拝して、
今度は、
何とか頑張ります。道に進めるように後押ししてくださいと。
そしたら、
< 大吉 >
まじか。
泣きたくなった。
わんわん泣きながら社の裏に回って、池の前のベンチに座った。
こんなに泣いたのは何年ぶりだろう。
ただの夢かもしれないのに、こんなことにこれ以上振り回されたくない。
こんなに馬鹿にされるなんて。
これ以上、こだわり続けることに意味があるのか。
普段はそんなことはこれっぽっちも思ってない。
(思わないようにしてるだけなのかもしれない)
リアルで、前世の話を知ってる人はほとんどいない。
防衛本能からだ。
でも、この前世の話(ブログ)を見て、リアルで会った人に、
「小説だと思っていた。」
と言われた。
じゃあ、それらしいこと(前世のこと)を聞いたりしてきたのは、なんでだ?
「前世に拘りすぎ。」だとも。
私は、前世が誰であったかには全くこだわっていない。(彼らの一人でなくてもいい)
ただ、(前世の)彼らに拘っているのは、前世の七人の仲間を集めろと言われたから。
それが地球を救う為だという。
(ただ、怖いだけなのかもしれない。
あんなのはただの夢だと無視することはできない。)
彼らを集めるには、彼らを知らなければならない。
どんな手掛かりでも探して、その「誰か」に届けなければならない。
彼らの物語を。
前世かもしれない、神功皇后や三炊屋姫や、饒速日命や住吉神らの伝承を追ってるのはその為だ。
その人が「前世」のどの部分を見るか(思い出すか)分からないから。
そうして、二フのココログで初めてから15年。
今まで5人見つかっている。
彼らは未来が視えていた。
もしかしたら、未来の自分達に何か残してるかもしれない。
足跡を追う先で何か分かるかもしれない。
そんな想いもあった。
そしたら、
「二十四人のビリーミリガンの話知ってる?」
と言われた。
ビリーミリガン
解離性同一性障害(多重人格)で、23人の別人格を持ち、3人の女性を殺害している。
(過去のトラウマが原因の一つらしい)
意図があろうとなかろうと、
犯罪者と一緒にされたわけだ。
(自分は障害への偏見はない。相手がその名を持ってきたことが許せない。)
今まで、誰に何を言われても気にしてこなかった。
人それぞれに思うことは、勝手。
誰かに何かを言われたくらいで、揺らぐような覚悟では無い。
そう思ってた。
でも、辛かった。
最低、「少しでも分かってくれてる」と、気を許していたからなんだろう。
言葉は言霊。
神が宿る。
そのつもりは無かったとしても、吐いた言葉は矢になり、刺さる。
相手に寄るんだな。
もとには戻らない。
それでも、痛くとも誰にも信じてもらえなくとも、
やっぱり何とかでも、進んで行くしかないのか。
こんな夢の話を信じて、こだわって馬鹿みたい。
自暴自棄になって、
悔しくて、
情けなくて、
境内を、とぼとぼ歩いた。
ふと、見上げると、気比神宮古殿地があった。
気比大神が降臨した地だという。
<弘法大師が七日七夜祈った場所>
由緒書きの、その言葉が目に飛び込んで来た。
ここにも来られてたんだ。
その時、ぱっと”繋がった”
言葉で表現するのが難しいのだけど。
空間が繋がったように感じた。
その古殿地の前に、何かが見えた。
こっちを向いて、唱えているような姿。
あれは、お大師様か。
多分、それは一瞬のこと。
先日も見た、獅子ヶ鼻岩の近くの弘法大師窟の石像が見えた。
あれと、かぶさる様な幻影を見た。
何かと繋がる時、自分が良く知っている姿として見えることがある。
・・・もしかすると、お大師さまは”彼ら(神功皇后と饒速日命)”の足跡で祈ってる?
何のために?
弘法大師の伝承は全国至る所にある。
その全てが事実では無いだろう。
でも。
彼(最澄さんも)は、神功皇后たちの伝承地を訪れて、祈ってる。
福岡の若杉山は、地元では西高野と言われている。
神功皇后の伝承地だ。
間違いなく、彼は彼女の地で祈りを捧げてる。
ここでもか。
時代が違うと思っていた、住吉の神と神功皇后が、饒速日命とその妃の三炊屋姫だ(同一人物)と気づいたのは、彼らの足跡からだった。
次の日の朝、時間があったので、もう一度参拝した。
駅まで向かう途中で、時間つぶしに本屋へ。
ふと目に付いた本のページをぱっと開いた。
<遠い未来、弥勒菩薩が下生されるまで、私は高野の東の峯で禅定に入ることにする>
高野山の弘法大師について書かれてあったページの、一文が目に入った。
彼は高野山の霊窟で、今も生きて瞑想を続け、弥勒菩薩を待っているという。
(「眠れないほどおもしろい「日本の仏さま」」 並木伸一郎 著)
(広い本屋の偶然目に留まった本の、ほんとに、ぱっと開いたのがこのページだったんだ。ちゃんと、買いましたよ)
あぁ、そうか。
そういうことなのか。
昔、FARIONにいた頃、
ARIONに言われたことがあった。
「弥沙は、麒麟だ」と。
(*弥沙は、FARION時代から使ってる、私のHN)
そして
「弥勒だ」と。
当時は、なんのこっちゃと思っていたのだけど。
思い出した。
弥勒菩薩は、未来で衆生を救済すると言われている。
もしも、そうならば、「弥勒」は”あの七人” みんな、なんだろう。
もしかして、彼らが神功皇后達の足跡で祈っていたのは、そういうことなのか?
ここでも繋がるんだな。
現人神社にはこんな伝承がある。
<住吉神は国の大事の際、人の前に姿を現し、神通力を振るう神>と。
再来を伝えられているのは、この神をおいてほかにいない。
それが本当なら、伝えたのは、未来が視えていた「彼ら自身」だ。
それは、
<いつかの未来の国の大事の時、再び現れて、神通力を振るう>
ということだ。
もしも、彼ら自身が予言し、後世に伝えていたのだとしたら、
弘法大師様は、それをご存じだっただろう。
彼らの足跡で祈ってたのは、その為ではないのか?
違うだろうか?
住吉神は、饒速日命だ。
神功皇后は、彼の后の三炊屋姫だ。
「未来に再び現れる、人として転生する」
彼ら自身が、そう予言していたんだ。
住吉神である磯良神(高良神)は、人の姿となり、神功皇后と共に生きたとも伝承にある。
確かに、彼らは神ではなく、人であった。
*
帰っても、ずっと浮上できず。
そんな時に、天澤さんが「炎龍からの言伝て」という記事を上げていた。
これは、私への言葉だ。
そう思った。
ブログへのコメントと、メッセージと。
ようやく、ようやく、浮上できた。
ありがとう!心の友よ!
おかげで元気になれた!
これからも自分がしたいと思うことをしよう。
とにかく続けるしかない。
誰が信じようと、信じまいと。
もう、振り回されない。
ずっと焦がれていた、くじゅうの坊がつるにもテン泊した。
縦走したい。
死ぬほど辛い縦走がしたい!
早く、涼しくならないかな。
山に入ると頭が真っ白になる。
私は山が好きだ。
神功皇后も福岡の山にたくさん登っていた。
彼女が私だったら、こんな嬉しいことはないだろう。
生まれ変わっても、同じ山を駆け巡って、大好きだった土地に、また住んでいるのだから。
とにかく、生きて前を進むしかない。
結果なんて、後で分かるもの。
何もかも捨ててしまって、後悔するのだけはしたくない。
二度目に引いた、気比神宮のおみくじ。
大吉のわりにあまりよくない。
凶のも戒めで持って帰るんだった。
(普段は、二回引かないよ!)
神の教えが怖い^^;