タイトル通り、石垣島に行っておりました。
これまでもでしたが、昨年~ここ最近にかけて、ブロ友さんで、
石垣、宮古、本島と
次々に沖縄に行かれていて、他人事とうか、へ~~って感じで
拝見していたのですが、まさか自分も急遽石垣に行こうとは。
上の写真、海の色が変わっている所の境目、なぜ、あそこが
白いんだろう??って疑問に思いながら、拝見させて頂いたり。
現地で、そんな海の中の様子を見て見たかったけれど、
あそこに段差があるんですってね。 急に深くなるそうで。
何度も行ってらっしゃる方なら、大したこと無いんでしょうけれど
初めて行く石垣。
気候も、島の中の移動距離も、何もかも全く分からないし、
通院先の心配など、不安も大きく、バタバタで前日から、
花粉か?風邪か?で体がだるい。微熱があったので、風邪ですね。
ちょうど、その頃、急に東京暑くなって、東京でこんなんだったら、
石垣では・・・?と急遽、持ってく服を、夏服だらけにしてしまったのだけれど、
行ってみたら、意外と寒く、お天気も悪く。
この日は、クーラー。この日以降は、暖房と・・・
台風さえなければ、石垣は夏の方が、天気が安定しているんですってね。
冬は、曇りや雨ばかりだそう。
冬の、曇りや雨(雪)って、日本海側だけの話だと思っていた
晴れたのは、この初日だけでした
昨年、夫の母が亡くなった時、義父があいさつの時に、
「妻を石垣島に連れて行ってやれなかったことだけが、心残りです」と話していた。
義母は兄2人を戦争で失っていて、1人は、サイパン、1人は石垣島で
亡くなったので、「石垣島に行ってみたい」ということは、私も
聞いていたような気がする。
義父母は旅行好きで、各地に出かけて来たようですが、色んな事情で
石垣島には行けなかったのでしょう。
私たち夫婦は、会ったこともない、伯父にあたり、
今まであまり、ピンと来ていなかったのですが、義母の死後、色々
手続きの関係で、戸籍などを見ているうちに、当たり前だけれど、
名前が出てくるわけで。
義母は、末っ子だったから、まだ幼い頃に、兄を亡くしてた・・・
そう思うと、急にジーーンとくる。
それに、「連れて行けなかった」と悔やむ義父が、来月で90歳と
高齢で、病床にあって。
年度末で、夫のリフレッシュ休暇がリセットされ、無くなっちゃうこのタイミングで、
「オヤジの頭がしっかりしているうちに、石垣島に行きたい」と
いうことになったのであります。
・・・といきなり、レンタカー登場
まずは、慰霊碑に行く途中で、何か食べようと思っていたのですが、
店が見当たらない。
見つけたのは、石垣島鍾乳洞にある食堂。(鍾乳洞はパス)
が・・・団体の予約でいっぱいと断られ、↑の車に戻ったら、
待てど暮らせど、夫ドアを開けてくれない。
具合が悪い中、イライラしない、怒らない・・・と自分に言い聞かせつつ、
「速く開けてよ」
「開かないんだよ」
のやり取り後、私が開けようとしたら、
開かない
なんで、なんで?
てか、キーが中に入っていかないんです。
普段乗っている車が、キーを差し込まないタイプなので、
とうとう、2人して、開け方忘れるくらい劣化したか?と。
いや、本当にウソみたいな話で、でも、今スタートしたばかり、
このまま放置するわけにいかないし、仕方ない、取りあえず、
お借りしたレンタカーのお店に電話し、来てもらうことになったのですが。
電話を切った瞬間?開いた
はぁ~~
何が起きたって?
超、言いにくいですが、車、間違えていますた
もう、どうして、こんなにアホアホ 夫婦なんでしょう
どうやったら、2人とも気が付かないでいられる??
もちろん、速攻レンタカー屋さんに電話しましたが、(夫が)
私ね~、その時のお顔とお姿拝見したかったぁ ←笑い事では無い
あ、↑のレンタカー は、問題のレンタカー
持ち主と鉢合わせにならなくて、ホッ
その後、バンナ公園麓?の慰霊碑に迷いながらも、無事にたどり着くことが
出来ました。
八重山では、慰霊碑にもあるように、マラリアで亡くなられた方が
多かったようですね。
その辺りは、具志堅さんの記念館向かいにある、
八重山平和祈念館に資料がありました。
慰霊碑はお花や、蝶が飛ぶ、眺望の良いところにありました。
伯父さんは、電信兵として亡くなったと聞いていて、病だったかは?
聞いていません。
伯父さんの最後の仕事は、
「コレヨリ、全軍玉砕ス」
と打電したそうです。
この日の事を、もう少し書こうと思っていましたが、
長くなってしまったので、一旦UPです~。