HARI MAN ヨガ教室という「場」 | そら、空 HARI MAN

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BEING HARI MAN

RE ふたたび LAX  ゆるんで 、 HARI 聖なる MAN 人間へ 


  

 

 

国分寺でのヨガ教室。

 

始まりに

ただゆっくりと頭上に片手をあげて、ゆっくりと手をおろしていく。というのをやりました。

 

 

 

 

吸う息とともに手をあげ、頭上に佇ませます。

 

次を急がす ゆっくり間を取り

 

吐く息とともにゆっくりとおろしていく。

 

 

 

 

下げられてきた掌や指先が足や畳にふれても、けっして急がずに最後に力を抜く。

 

ただ、これだけのこと。

 

 

 

 

 

 

 

私は五人の参加者を前にしてそれをやっている最中、

無心が起こり、「幸せ」がおこり、

微笑みから喜びが湧きあがり、涙があふれそうになりました。

 

 

 

 

ヨガのポーズ中や、時には、参加者の前で座っただけで、こういことがよく起こります。

 

(そして、これは一人でやっているときよりもヨガ教室で起こるときの方が多いのです)

 

人という「存在」と 何らかの共鳴や共振が起こります。

そして、無心が起こり、無我が起こり・・・

・・・そこから個の「私」に戻ってくるときに「喜び」や「幸せ」「甘美」が静かに湧いてきます。

 

 

 

 

 

ヨガ教室の始まる前に、会場に入ったらその会場に「よろしくお願いします。ありがとうございます」と声に出して挨拶します。

そして、目には見えないけれども、気づくこともできていないかもしれないけれど、

私たちを導いてくれている存在たちに「私たちの裡にある本来の美しさ、安らぎをひらいてください。どうか、これからの時間とこの場所、ここに集う人たちを祝福の光で清め、満たしてください」と小さな声でいいます。

 

 

 

 

ヨガ教室という「場」。

たんにポーズ・「方法」を学んだり、覚えて帰るという場所・時間ではない気がします。

 

 

 

 

 

 

「人」と「人」が集まる「場」、「時間」。

そこには「美しいもの」がひらかれる可能性が満ちています。

 

おかしな言い方ですが

「人」と「人」がちゃんと今、ここに存在すれば 「人」はほどかれる。

そんな風に想います。

 

 

 

 

 

HARI MAN。

 

HARI とは HOLLYの意味で、 「HARI MAN」 とは 「聖なる人」。

 

 

 

 

「人」がほどかれ、その裡にある美しさや安らぎがひらかれるとき、

 

「人」がひらかれ、その裡にあった美しや安らぎにひらかれたとき、HARI MAN。

 

 

 

HARI MAN。

 

そのときもう 「人」はいないのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


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