『「デブ論」考証』賛
前回の冨田幹事の『「デブ論」考証』は、当クラブにおける「デブ」という普遍的な現象と認識についての考現学ともいうべき考証であり、当クラブメンバーにとっては広く益する優れた論文であった。小生は前日、草津で湯治をしていたが、スマホで三鬱(冨田幹事創作の「三役の憂鬱」の略称)を閲覧し、かの論考を一読した瞬間、アルキメデスの如く「ユリイカ!」と叫び、裸で走り回りたくなる衝動を抑えるのに苦労した。そもそも小生の駄文より始まったこの三鬱が、とうとう学術的に昇華され、社会的な価値を得たことは誠に欣快に堪えないし、小生が草津温泉で「恋の病~はコ~リャなおりゃ~せぬよ~チョイナチョイナ」と歌っているうちに、かかる価値のある論文をアップするとは、さすがは冨田幹事、ただの大酒のみではないと感服すること頻りである。
もちろん、当ブログは本来有益性を担保してはいないものの、結果として生じる有益性を否定するものではないので、当クラブメンバーのみならず現代社会の広い階層に共通する、かかるテーマを提供する考証は極めて有益性を有するものとして顕彰されて然るべきであろう。
また、冨田幹事の飲まなければ優しい人間性に由来して、メンバー以外にはわからないよう伏字が設けられている部分があるが、このブログは「そんなの関係ねぇ」ので、まず「笹〇(一)〇計」とは、ワタクシ会計笹沼一弘のことであり「ひで〇委員長」とは「旭川らーめんひでまる」の大将、市毛秀明市民・レクリエーション委員長のことであることを明記しておく。なぜ、冨田幹事の伏字をオープンにしたかと言えば、この論文の価値を思えば、メンバー以外の方に読めない部分があることは社会の損失であると考えるからである。
当該考証において冨田幹事は構造主義的に自身の体験を執筆の動機とし、デブの分類から僕と大将の愛らしい小話を挟んで、現代社会において概ねネガティブな文脈でしか語られない「デブ」についてのステレオタイプな表象を脱した、さまざまな個体を描き出し、ついには「セクスィ部長」へと転化させている。まさに現代思想潮流のメタファーとも言える、この『「デブ論」考証』を諸兄姉がどのように読み解くのかというテーマこそ、私にとって、最も興味深い現象であるがゆえに、帰水後直ちに該論推奨の筆を執るの欲求を抑えることができなかった。広く天下の有志のご高覧を願ってやまない。
2014年8月1日 会計笹沼記す