(12)台湾の国造りが始まる 

 

 川重は転炉以外にも、同じ課のN係長が私との連携でビレットミル(ビレットを作る圧延設備)を受注している。両プロジェクトとも好採算をはじき出した。バージ輸送の貢献もその要因の一つだが、大きくは為替予約が効いた。

 契約はドル建てで行われ、客先には長期間の返済猶予を与えて、何年にもわたって支払いが繰り延べられる契約になっている。従って将来、支払われた時の通貨はドルなので、円転換せねばならない。問題はその時に今より円高なのか円安なのかということである。もし円高なら損をするが、円安なら得をする。

 さて、どうするか。感じとしてだが、円が安くなりそうな気配が濃厚で、我々はそのままドルで保有していた。だが念のため、日商岩井の南氏経由で彼らの為替専門家の意見を聞いてもらったところ、長期的には円高に向かうという。

 事業部内で賛否両論があったが、メーカーの意見よりも商社を信用しようということになり、為替予約をしたのである。後日、結果は正解と出た。大幅な円高となり、ドルのままなら大損して、目も当てられない決算になるところだった。

 バージの発案といい、為替予約のアドバイスといい、南氏には足を向けて寝られない。ちなみに同氏は十年ほど前に他界されている。

 思い出せば、このプロジェクトには幾多の困難が立ちふさがった。CSCのM会長とF技術部長が川重を訪ねてきた日のことを思い出す。日中国交正常化による日台断交と周四原則適用の真っ最中だ。先行きどうなることかと心配したものだが、終わってみれば大団円となった。

 川重だけがハッピーだったのではない。他の日本企業もなかなかの商売人だ。先行する我々の後を追い、三菱重工のブルームCCを始め、住友重機、宇部興産、新日鉄など数社が受注している。だがほとんどの機器はヨーロッパ企業に発注された。

 かくして台湾の国造りが音をたてて始まったのである。私はその導火線の役割の一端を担えたことに、半世紀が過ぎた今もひそかな誇りを抱いている。もしK取締役(通産省からスカウト)とM理事(新日鉄からスカウト)の奮闘、そして世界最大の鉄鋼会社新日鉄の勇気がなければ、CSCの運命は変わっていただろう。

 ところで余談だが、転炉建設工事中のことだ。ちょうど私は台湾へ出張で来ていて、ホテルに日本から電話が入った。アジアを歴訪中の常務人事本部長が来週、香港から台湾入りするので、アテンド願いたいとの指令を受けた。具体的にはCSC要人の誰かに挨拶すると共に、川重の工事現場を見学し、日本から派遣されている技術者たちを激励したいという。

 私は急ぎ客先のアポイントをとり、万端整えた。そして当日は無事に行事をすませ、夜、中華レストランでディナー接待をした。しかし、その席で私のサラリーマン人生について、驚くべき事実を知ったのである。

 入社したとき、最初の配属先が健康保険組合への出向だった。大卒同期入社230人のうち、出向は私一人だけ。しかもその仕事は日がな一日、健康保険証の作成だ。当時はタイプ印字ではなく、手書きで氏名や生年月日を書き込む。手指による肉体労働である。

 私は大いに落胆し、本社への脱出を何度試みたことか。だが上司に「君は我が健保組合のホープだ」などと気に入られ、なかなか出してもらえなかった。しかし偶然、この夜の常務との会話で健保出向のいきさつを知ったのである。 

 そのきっかけはこうだ。あまり飲めない自分だが、いつになく紹興酒で饒舌(じょうぜつ)になり、話のネタ程度の軽い気持ちで出向のことを口にした。すると常務はふっと息を止め、遠い過去に記憶を戻すような目をした。そしてやや置いて、何か感慨深げに、「おおっ、あの時の君か」と叫んだのだ。

 言われた私も驚いた。「えっ、常務は何か私のことをご存じなのですか」と、思わず聞き返した。「知るも知らぬもない。君の配属先を巡っては、ちょっとした議論があったのだよ」と、常務が応じる。

 当時、川重の入社試験では国公立十一校は筆記試験免除で、その代わり、面接試験と自分で記入する身上書、並びに作文があった。面接の数日前に志望者が一堂に集められ、簡単な身体検査と身上書、作文を書かされた。

 身上書では、尊敬する人物は誰か、感銘を受けた本は何か、購読する新聞は何か等に続いて、「支持政党はどこか」と、今日では考えられない質問が含まれていたのだ。

 私が学んだ大阪市立大学経済学部(現大阪公立大学)は当時、マルクス経済学の牙城として有名(悪名?)だった。マルクスとエンゲルス、レーニン、唯物論を学んだ私ははたと困った。

 どの政党にするか…。自分は共産党にしたいが、それでは不合格になるだろう。しかし信条として自民党とは書けない。では民社党か。でもあまりにも日和見すぎる。で結局、中間の社会党と書いて提出した。

 作文は確か「私の人生観」というタイトルだったと思う。ちょうどゼミのテーマがマックスウェーバーだったので、彼の著書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の主張に沿って書いた。私は別にキリスト教徒ではないが、要は日々を勤勉・禁欲的に生きたいと熱意を込めて書いたのである。

 面接試験は専務と人事課長、担当係員の三名が行い、きっちり十分で終わった。あまりにも短くて、「やはりな…」と、もう合格は諦めていた。ところが翌々日の昼頃、自宅に何と合格の電報が届いたのだ。前週に三菱銀行を受けて、ここも面接だけだったが、あっさりすべっていたので、うれしさは格別である。  

 常務は盃を傾けながら、こう続けた。面接と作文の印象はすこぶるよく、ぜひ採用したいが、社会党がどうも引っかかる。受験者は全員が自民党と書いていて、社会党は君しかいない。珍しい。しかし運動家でないことは調べがついている。勢いのある若者を一人くらい採用してもいいのではないか。そういう評価で合格が決まったという。

 だが後に、配属先を決める段になってひと悶着があった。「いきなり赤旗を持って走られても困る」という意見が出、「それなら健保組合にでも出向させて、しばらく様子を見よう」ということに決まったというのだ。

 当時、常務は労働分野を担当していて採用には関与していなかった。しかし社会党支持者の大卒入社は非常に珍しく、人事本部内ではちょっとしたニュースになった。

「だから私の耳にも入って、へえっという感じで、印象に残っていましたよ」と、常務は笑いながら言った。

 そうだったのか。赤旗を持って走ると思われたのか。私も思わずもらい笑いをしたのであった。