(10)二千数百キロをバージで輸送

 

 CSCの商務担当副社長キング氏を訪れ、バージ問題を提起した。彼は耳にするなり、「まさか。Youは正気か」と仰天し、二の句が出てこない。

 こちらは予想通りなので驚かないが、契約はCIFで既に調印されており、フレート(海上運賃)は川重の裁量の範囲内だと主張。いきなり険悪な雰囲気に突入した。

 ここは少しでも譲歩すれば負けだと思い、多少の強引さを承知の上で、隣にいるH海運のY氏にバージと半潜水式タグボートの説明をさせた。模型を見せ、台風時にも十分に対応できると、根気よく説得を続ける。

 それに万が一、事故が起こっても、保険を掛けているのでCSCには損害は発生しないと強調。こんな激しい応酬が数時間続き、昼になった。私たちは大食堂に案内され、ランチの席上で彼はこう言った。

 契約では確かに川重の裁量内だが、どだい二千数百キロの外洋をバージで運ぶなんて、前代未聞である。その万が一が起こったら、いくら保険金が入ってきても、納期は遅れるし、CSCは世間の笑い者になるというのだ。

 午後は先方に時間がなく、明朝、改めて話し合おうということになってホテルへ戻った。ここでも日商岩井の南氏は知恵を出してくれた。

 主要機械で嵩(かさ)ばらないものや電装品は貨物船とし、それ以外の機械類と一万三千トンもあるすべての鉄骨はバージで運ぶ。なるほどと、私は思わず手でテーブルをたたいた。これでも相当なコストダウンを達成でき、文句はない。

 明くる日、同じ議論の蒸し返しを続けた後、タイミングを見計らい、貨物船とバージに分ける新提案を持ち出した。キング氏は「ふうむ」と言って、満更でもないふうな表情をしたが、すぐに打ち消した。

 私は脈ありと思ったが、あえて深追いせず、ここは我慢して、別の課題のことを口にした。水深の測定である。港の水深がバージ輸送に問題ないのがわかれば追い風になる。この材料も合わせたなら、新提案を飲ませられる予感がしたのだ。

 キング氏も測定はやってもいいと同意。その場から総務部へ電話をかけ、ボートを用意するように命じた。

 強い太陽がカンカン照りつける中、午後一番で私たち二人とキング氏の三人は岸辺へ出た。まだ岸壁工事は始まっておらず、埋め立てたままの広大な土地が広がっている。

 三人は小さなボートに乗り移り、係の少年が漕ぎ出した。Y氏が止まる場所を指定して、おもりのついた長い糸を垂らしては目盛りを測る。十数ヵ所を測ったところ、問題なしとの結論が出、安堵した。

 会議室へ戻り、再びバージの議論に戻った。キング氏はどうやら肯定と否定のあいだで揺れている感じである。やはり笑い者になるのを恐れ、踏ん切りがつかないようだ。

 ふと私は何か彼の背中を押すインセンティブが必要ではないかと気づいた。周囲を説得できるもの…。それはフレートの値引きではなかろうか。

 川重が得した全額を独り占めするのではなく、一部をCSCに還元する。そうすれば、新提案を受け入れやすくなる。私は慎重な言葉遣いながら、フレートの一部値引きを匂わせた。

 キング氏は急に表情を緩め、心が動いたようだ。私のさらなる言葉を待つ姿勢を示した。私はすかさずこう言った。「若造の自分には値引きの権限がありません。大至急、日本から課長を呼びますので、数日後に再度、打ち合わせをもってくれませんか」

 これは儀式である。あっさりと値引きをすれば、相手はしまったという気になり、さらなる値引きを求めるものだ。

 課長も千両役者だ。うまく振舞ってくれた。こうしてわざわざ彼を出馬させることで、川重は予定した額の値引きで納得させることに成功したのである。今日の経営用語で使うウィンウィンの走りであった。