万葉集にいくつかあるらしい自発の「おもほゆ」



見る   聞く   おもふ

見す   聞かす  おもはす

見ゆ   聞こゆ  おもほゆ



古代日本では、自身の意図に左右されない外界の流れを察知する「見ゆ」「聞こゆ」と同様に、自身の意図に左右されない自然的な流れとして生じる「思い」と解されていたのだろう。

1. シーア派における政教一致(政教一元論)

 歴史的背景: 原則として、シーア派は「神の法(シャリーア)」に基づく統治を理念としており、政治と宗教が分かちがたく結びついている。
 イラン革命とウラマー: 1979年のイラン革命以降、イスラーム法学者(ウラマー)が直接国政を担う「イスラーム体制」が確立された。
 憲法の規定: イラン憲法第4条は、民事、刑事、財政、経済、文化、軍事などあらゆる法律は、イスラームの法と原則(シーア派に基づく)に基づいていなければならないと定めている。
 指導者論: 「お隠れ」時代(イマーム不在の期間)には、ウラマーが共同体の指導者としての役割を果たす。 
 
2. シーア派の理性主義(理性の重視)
 法源の重視: スンナ派が主に伝承(スンナ)を重視するのに対し、シーア派(特に十二イマーム派)は法源の四つ目として「理性('aql)」を重視する。
 イジュティハード(独創的解釈): 法学者が理性を用いて法律を解釈・適用する「イジュティハード」のプロセスを重視する。
 時代への対応: 時代や状況の変化に応じて、合理的・論理的に法的判断を下すことが伝統的に求められてきた。 
 
3シーア派のその他の特徴
 後継者問題: ムハンマドの血統にこだわったのがシーア派の起源である。
 指導者イマーム: 第4代カリフ・アリーの子孫を指導者(イマーム)とする。
 多様性: すべてのシーア派がイラン型の急進的な政教一致を支持しているわけではなく、スンナ派よりもリベラルな見解を持つケースも存在する。 
 
このように、シーア派は理性主義的な法解釈に基づきながら政教一致体制を構築したという特徴があり、イラン革命後のシーア派政権には、過去の上からの西欧化政策と言える白色革命時の内外の諸問題が結束意識として働いている。

フランク王国(5世紀末 - 9世紀)は、西ローマ帝国崩壊後の混乱期にヨーロッパの基礎を築いた、ゲルマン人の中で最も成功した王国です。その「栄華」は、主に強力な軍事力、キリスト教との強力な提携、そしてカロリング朝における文化・政治的復興(カロリング・ルネサンス)によって象徴されます。 

1. 栄華の始まりと定着(メロヴィング朝)
 クローヴィスの改宗(5世紀末): クローヴィスは、ゲルマン部族の多くがアリウス派キリスト教を信仰する中、正統派(カトリック)に改宗しました。これにより、ローマ教皇や住民(ローマ人)の支持を得て、王国の基盤を強固なものにしました。
 ガリアの統一: クローヴィスはフランク族を統合し、現在のフランスからドイツにかけたガリアの大部分を支配下に入れた。 

2. 栄華の絶頂(カロリング朝・カール大帝)
 領土の拡大: ピピン(小ピピン)がカロリング朝を開き、その後を継いだカール大帝(シャルルマーニュ)は、サクソン人、ランゴバルド人、アヴァール人などを征服。現在のフランス、ドイツ、イタリアの大部分を含む広大な領域を支配した。
 西ローマ帝国の復興(800年): クリスマスに教皇レオ3世から「西ローマ皇帝」の位を授与され、名実ともに西ヨーロッパのキリスト教世界の中心となった。
 文化的・政治的繁栄(カロリング・ルネサンス): アーヘンに宮廷を置き、宮廷学校を設立して学者を招聘し、学問や芸術を振興。ラテン語の復興や古典文化の修復が行われた。
 統治体制: 地方に巡回使を派遣して統治を強め、統一的な法的・行政的枠組みを構築した。 

3. 歴史的意義と「ヨーロッパ」の誕生
 欧州の原型: カール大帝の下で、西ヨーロッパのキリスト教化が飛躍的に進み、現在のフランス、ドイツ、イタリアの原型が形成された。
 教会と王権の提携: 教皇と皇帝の強力な提携関係が中世の政治構造の基礎となった。 

4. 栄華の結末と分裂
 ヴェルダン条約(843年): カール大帝の死後、孫たちの争いにより、843年のヴェルダン条約および870年のメルセン条約で王国は東西中フランクに分割された。この分割は、現在のフランス、ドイツ、イタリアの分立へと繋がっていく。 


フランク王国の歴史は、ゲルマン文化とラテン(ローマ)文化、キリスト教が融合し、西ヨーロッパ中世社会が形成される過程そのものであり、カール大帝時代にその最高到達点(栄華)に達したと言えます。

十八世紀にモンテスキューやギボンのローマ帝国衰退論が注目され始めたが、なんだかんだ言っても一定期間持続したフランク王国についての繁栄論も必要なのかと思われる。モンテスキューの「法の精神」の最後半部は検討材料の一つとなろう。