個々人に宿るところの知識、理念、世界観などであるが、それは各個々人の白紙からの形成過程を経てやどり(形成論的観点)、そしてその宿った状態の個々人の結果が現社会状況(所持論的観点)であり次の社会状況への変化に繋がっている。

 

 形成論的知識社会学については『イデオロギーとユートピア』で有名なマンハイムが挙げられ、英語版序文3項では認識論的観点(デカルト、ライプニッツ、カントの大陸合理論とホッブス、ロック、バークレイ、ヒュームのイギリス経験論)や心理発生的観点(ニーチェのルサンチマン論)の主観内部を発生源とする説明にたいして、あらたに社会学的な知識形成論を示されています。実際のところ知識は個人によって形成されているもので、時に周囲を感知する自身の感覚を通して知識を形成したり、またある時にはすでに過去の人々によって知識形成された歴史的産物と言えるものを周囲から得て各個々人は知識を獲得(社会学的形成の一側面でもある)していくのである。一方で社会学的形成としては、例えばマルクスの労働価値説を基礎とした唯物史論は、当時の全般的社会情勢やとある社会的立場の関心事によって形成され、かつ普及(普及させる特定社会的立場があったろう)した点で形成論的知識社会学と言えよう

 

所持論的知識社会学についてはかなり多岐にわたると同時にそれぞれ部分的に適用される感にあり、評価は人それぞれ観点によって左右されよう。一つ古いものとしてはヘロドトスの歴史書を挙げておきますと、それはノモス(法、習俗)は相対的多様性(『歴史』3・38)であり、そのノモス所持集団に関する一種の社会学とみなせます。あとウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は比較文明論的領域にあり、レヴィストロースにはじまるフランス構造主義あたりからは形成論的観点と所持論的観点(ソシュールやフーコーの通時性と共時性)が微妙に混合循環した社会学が現れた感じでしょう。

香椎なつ氏の見解は必ずしも『俺の見解が正しい』と言っているわけではなく 『えっ?最低限の事実確認がされずにいるよ?』である

 

もし最低限の事実確認をスルーするならば知事や市長らは議員の談合正義で傀儡化されるということで 香椎氏は冒頭で兵庫県問題に限らない日本全体の問題とし 談合正義による傀儡化の前例化もしくは慣例化を危惧しているのだろう

 

そうキーワードは 偏向報道が知りながら知らん顔している『最低限の事実確認』と『談合正義による政治家の傀儡化』?

 

 

立花孝志氏の逮捕における偏向報道の放置が積み重ねつつあり もはやそれが慣習法化しつつもある

 

いやはや兵庫県問題の偏向報道が一年以上続いたことから 前例の積み重ねが強固になりつつあると言ってよいだろう

 

立花孝志の兵庫県知事選立候補は ある意味においてブラック百条委員会や偏向報道の前例化阻止に貢献した

 

そしてその前例化阻止の貢献を剥奪する 偏向報道や非公開領域を利用する司法権、行政権などなどが リアルタイムで前例化しつつある今日この頃だ 

 

 

『もう どうにも とまらない♪』