五世紀頃のインドでは南方ナーランダの中観派と北西ガンダーラの唯識派の対立が生じたらしい。これを乱暴にもフッサールの現象学でたとえてしまえば、中観派の「判断中止」と唯識派の「括弧保留」としたい。中論の無自性と法空と言った懐疑指向が「判断中止」で、唯識論の内容真偽を別問題とした認識の現実についての着目は「括弧保留」に近い意識であろう。そんな対立の中、中観派の中では唯識論と融合させようとした自立論証派(清弁)とそれを批判した反唯識論の帰謬論証派(月称)に分かれたらしく、特に帰謬論証派に徹底した「判断中止」が感じられる。さらに乱暴ついでに分類してしまえば、中観派の曹洞宗(只管打坐の黙照禅)と唯識派の臨済宗(公案工夫の看話禅)としてはいかがであろうか?
仏教の唯識派に基づく日本南都六宗の一つ法相宗では「一水四見」が語られていたそうだ。これを知識社会学で位置づけるならば、所持論的知識社会学の基本図に相当する。仏教上では、人それぞれ見方が異なっていることの理解や相対的意見の心構えみたいなものを説く題材なのだろうか、知識社会学では四見の社会的結果やら事後展開に注目する。
たとえば天体活動(一水)を観測している三人が天動説を唱え一人だけ地動説と唱えたとしよう。その時天動説者の三人はどうするか、地動説者の一人はどうするかで事後の社会的状況展開は大きく異なるという知識社会学的な関心が生じるのだ。はたまた歴史学的な関心にのっとり、マルクス的共産思想の普及(一水)によってそれぞれの地域(それぞれの四見)の社会的展開(所持論的知識社会学の関心事項)が生じるのであり、イギリスの四見結果は保守党と労働党の二大政党制へ、ロシアの四見結果は十月革命を通したソビエト連邦の成立へと理解され、それぞれの地域における人々の知識状況(四見状況)との関連性が研究対象となりうる。
またマンハイムが言うところの部分的イデオロギーだけで社会は動いているわけではない。天動説者と地動説者の関わり合いは天文学的知識(部分的イデオロギー)に限らず、それぞれの社会の見方や議論進行に関する規範意識などなどの知識(全体的イデオロギー)が関わっているのである。またマルクス的共産思想にたいする人々の反応やその社会的展開についても、資本主義と共産主義と言った経済学や歴史学的な知識(部分的イデオロギー)に限らず、議会体制、自利益を基準とした改革順序、最優先されるべき正義などなどの知識(全体的イデオロギー)が働いていたと言える。
現行の資本主義的社会は、それを支えるイデオロギーらしき世界観なり社会観などの理念によって成り立っている(マルクスのイデオロギー論)。一方で生産力や生産関係(唯物論)によって歴史は動いているという唯物史観がマルクス主義の一端を担ってきた感じである、そしてそれは現イデオロギーを虚偽意識としながら、イデオロギー(観念論)にたいして現実を捉えている唯物論を演出しているようなものである、
マンハイムはイデオロギーとユートピアに分類していたが、マルクス主義はまだ現実化していないプロレタリアート政権にも生じうるイデオロギー特質(現体制社会を支えているものに適応されるイデオロギー特質)という批判を避け、まだ実現していないユートピアとして支持者を集め団結させる理念(また唯物論の名で批判を避ける)をあらわしたのだ。しかし少し考えれば、現実化を示し始めれば「唯物史観も体制を支えるイデオロギーだ」と誰しも分かりそうなものなのにと、今となっては不思議な気持ちにもなろう。
確かに現体制がイデオロギーで支えられているという点については賢明であったし、それが生産関係と関連付けられていた点についても秀才ではあった。ところが唯物史観を基礎とした革命理念にしたことで共産主義および唯物史観自体のイデオロギー性を無視してしまいました。この点はマンハイムのいう特殊的イデオロギー論の特徴にあり、論敵の側だけのイデオロギー指摘に留まった態度に相当します。
現行資本主義にたいする新興共産思想の前には現行君主体制にたいする新興自由思想やら啓蒙思想があったが、その革命実現はフランス革命であった。(イギリスの市民革命の場合、反王権神授説を共有した革命だったとは言え、革命以降も外部干渉にさらされ続ける思想革命ではなかった)フランスを中心とした啓蒙思想が王権神授説にたいする社会契約論などでフランス革命へ導き、外部干渉を受け続ける思想対立軸の状況普及へとなった感じである。確かに王権神授説というイデオロギーにたいして社会契約論の方がまだ現実感がともなう理論かも知れないが、それにしても社会契約論も生まれる子供たち各人が社会と契約をした上で誕生して来ているわけでない(実際は新興権力による自然権という実定法?)ことからすれば一種のイデオロギーではあるだろう。なるほどイデオロギー的な革命思想でも、ある種の社会的あるいは歴史的な成果を残すこともあるのだろう。しかし革命によって支配階級の人員と思想が入れ替わるのであって、それは革命勢力へと成り得た思想内容と人員勢力の歴史的な相対的社会文化状況の結果に過ぎない。そもそも「自由」は人それぞれ意味合いが異なり、制定された「自由」にしても制定された地域や時期によって意味合いは異なっているし、せいぜい早かれ遅かれの王権神授説の終焉といった方がよさそうだ。
すると生産力と生産関係の矛盾にたいするプロレタリアートを中心とした不満が募って行くのは一定方向の進歩といってよさそうなのだが、しかし現行資本主義イデオロギーの唯物史観に基づく一定方向の終焉は地域や時期による理念共有の団結であって歴史的な相対的社会状況の産物であろう。
実際のところイギリスではフェビアン協会、保守党と労働党の二大政党制へと向い、革命とは異なった体制の道を進んだ。それは「囲い込み」という批判的言明に認められると思われる、囲い込み勢力と批判勢力の対立軸によって国益調整して来た歴史に基づいた結果とも考えられよう(ウェーバーのプロテスタント精神の他に、イギリス「囲い込み」対立軸による生産関係の調整意識が資本主義を進めた?)要するに産業革命後の資本主義体制にたいしてはブルジョワとプロレタリアートの対立は一定方向の進行であろうが、その対立状況にたいしての対処は幾通りも想定されうる相対的社会文化状況によるもので、そんな中で革命に歴史的必然性を印象付ける唯物史観やら科学的社会主義というイデオロギーだったと思えてならない。