『ドン・キホーテ』の絡みで中世ルネサンス論のブルクハルトとホイジンガから、騎士道、田園パストラル、宮廷の関わりを述べた。そこで格差平等の意識からそれぞれの違いについて述べたいと思うが、イタリア中心のブルクハルトは多少の都市からの田舎蔑視はあろうとも比較的平等意識にあったイタリアとしており、亡命貴族のコスモポリタン的な生活確保が可能であったとしている。一方フランス・ブルゴーニュ中心のホイジンガはジャクリーの反乱など農民蔑視が強い北部とし、民衆の悲惨がテーマとなった文献や宮廷嫌悪の文献が多々認められるとのことだ。 

そんな違いの中、イタリアでは盛んな嘲笑や悪口合戦が国益を損なうと思って(なかばマキャベリ『君主論』の国家理性に基づく思いからか)か、上層階級では、カスティリオーネの『宮廷人』やカーサの『礼儀作法指南』ような礼節やら品格が求められる雰囲気になったらしい。 

一方ネーデルラントでは『新しい信心』運動やケンピスの『キリストのまねび』が現れ、ホイジンガが述べているわけではないが、フランスではモラリストと呼ばれるようなモンテーニュやパスカルなどの宮廷生活経験者らによる自己を含めた人間考察がなされ始めた感じである。

『ドン・キホーテ』第六章、キホーテの蔵書整理にあたって騎士道もの『アマディーズ・デ・ガウラ』に始まり、モンテマヨールの『ディアナ』1559からは牧人小説もしくはパストラルものが数冊続いている。

 

さて中世ルネサンス論でお馴染み、イタリア中心のブルクハルトと北部中心のホイジンガでは、騎士道にたいして田園パストラルや宮廷との関係やらが示唆されている感じだ。パストラルに関して思うのには、まずスペインではパストラルの普及がイタリアや北部に比べて遅い。スペインからイタリアに赴いたサンナザーロの『アルカディア』1504はあるが、スペインへの影響は『ディアナ』の頃と重なりスペインの流行の発端となったようだ。

 

ブルクハルトによればイタリアのパストラルものはペトラルカ以降のヴェルギリウスの古典模倣があり、ボッカチオからサンナザーロの『アルカディア』までの牧人小説としており、十五世紀には定着していたようだ。ブルクハルトは十五世紀末の農民田園詩のいくつかを扱い、パストラルものの前後では静的風景画と身分の平等性について叙述している。ホイジンガの場合は古代ギリシャのテオクリトスをあげて、虚しい栄誉闘争や危険な戦争からの離反としてのパストラルものと考えて話しが進む。ペトラルカも称賛したといわれるフィリップ・ド・ヴィトリの『ゴンチェ物語』は十四世紀フランス北部の自然質朴な夫婦愛で、ユスタシュ・デシャンが宮廷嫌悪や騎士離反を絡めた反戦と労働賛美となって続く。そしてその後さまざまな展開が繰り広げられ、十五世紀のヴィヨンによる反『ゴンチェ物語』としてのパストラル嘲笑までも語られている。ホイジンガは宮廷風愛の話からパストラルの話へ進められた格好である。

 

『ドン・キホーテ』にみられる羊飼いやら田園風景の挿話は、ブルクハルトやホイジンガが扱った「当時の宮廷、騎士道、パストラルの理念に関わる多様なる考え方」と「多様なる考え方を抱いた多様なる人々の社会状況」が複雑に絡みあったものと考えざるを得ない雰囲気に包まれ過ぎていそうだ。

正編『ドン・キホーテ』1605年ではすでに騎士道を廃れ、騎士道物語が盛んになった頃だったと思われる。正編38章では大砲なきめでたい過ぎし時代、火薬や弾丸がすでに広まった当世として語られている(日本の鉄砲伝来は1543年)。一方騎士道物語の流行については、第32章を読むだけでも若干の参考になるとは思われそうだ。

 

『ドン・キホーテ』 を読めば当然わかるようにすでに古代ギリシャとローマの古典が広まっていたころであり、マキャベリ『君主論』1532やエラスムス『愚神礼賛』1509のような旧支配階級が嫌がる新たな現実認識も現れた後のことである。スペインの国土回復運動の完結は1492年、セルバンテスも加わったとされるレバント海戦の1571年。イタリアルネサンスの終焉とされる1527年ローマ略奪、1559年カトーカンブレジ条約は参考にしたい年号であろう。

 

なおドン・キホーテお勧めの騎士道物語の一つ『アマディーズデガウラ』は1508?年で、第六章にみられるドン・キホーテの蔵書十六世紀のものばかりである。