ロシアは1921年に大飢饉が生じた。その後レーニンはNEP(1921-1927)を行い、スターリンは第一次五カ年計画(1928-1932)を行い、まずまずの成果を上げたらしい。また1929年に起きた世界恐慌の影響は少なかったらしいから、おそらく資本主義の無計画競争よりも共産主義の素晴らしさを実感した感じだったのだろう。

いきなりなされたロシアの王政打倒はフランス革命の前例が参考になったからこそであり、その後ロシアで王政復古がなされなかったのも同じく19世紀前半のフランスの前例が働くと共に、レーニンとスターリンの成果に一定の支持が得られていたことにあろう。


第二次世界大戦の直後、人民民主主義、コミンホルム、コメコンなどで団結していた国々が今やEUに属している状況を見ると、問題となっているウクライナをロシア側に引き寄せたい、もしくはロシア民族を守る義務に使命を感じているのも無理はなかろう。

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きっとロシア人がポール・マッカートニーを好きなのは、ブッチャー・カバーとホワイト・アルバムにあるのだろう。